◆平成家族考 51


TFCAは,東京ファミリーカウンセラー協会(Tokyo Family Counselors'Association)の略称です。 同協会は,社団法人家庭問題情報センター(Family Problems Information Center),いわゆるFPICの前身であった組織です。 社団法人家庭問題情報センターは,間もなく公益社団法人家庭問題情報センターへの移行認定申請を行う予定ですが,本法人の前身であったTFCAの誕生, 活動,社団法人化等の経緯を知る会員も少なくなっています。本年6月19日に逝去された野田愛子先生(当法人の前理事長・顧問)は,生前, TFCAを知っている会員が健在である間に,FPIC誕生の歴史を書き留めて置くことを念願されていました。やがて三世代目に入ろうとしているこの際, TFCAの誕生,FPICの誕生に関わった会員の皆さんによる座談会を開催し,当時の先輩たちのご苦労と, そのころから常に私たちを陣頭指揮してくださった野田愛子先生のご遺徳を偲んでもらうことにしました。温故知新のことわざのとおり, 先人たちの献身的なボランティア精神と野田先生の慈母のような包容力が今日のFPICの礎を築いていることを心に刻み, 次の世代を担う会員の皆さんが新しい法人のあり方に活かしてほしいと思います。

出席者
浦田 久瓜生 武遠藤富士子金子のぶ篠田悦和永田秋夫山口恵美子
山田 博和田 郁原口幹雄(司会)鶴岡健一(記録)

第1 TFCAの発足と活動

司会 この中で,TFCAを設立しようという最初の運動から関わったのは,和田さんだけのようですから,その辺から紹介していただけますか。
和田 昭和60年ごろ,野田先生が東京家裁所長をされていて,家事調停委員をしている元調査官たちに調査官の経験を生かす組織を作って, 家庭問題が深刻になる前に相談できる相談室を作ったらどうかとのお勧めがあり,沼邊愛一元調研所長にその会長になってほしいとお声をかけていただいたのが, そもそもの始まりでした。沼邊先生を中心に,新井実暁さん,椎野元夫さんらの大先輩たちが1年間に18回の会合を重ねられました。 昭和61年9月1日に「東京ファミリーカウンセラー協会設立の趣旨」という文書を作成して参加を呼びかけました。そのときの発起人には,新井実暁,椎野元夫,中原尚一, 山崎森,永井百合子,村田静の先生方がなっていらっしゃいます。
司会 そのときの設立の趣旨には「社会病理現象が増大する悩み多き時代の社会的ニーズに応え,専ら家庭や子供の問題に悩む現代の家族にカウンセリングサービスを提供し, 問題の自己解決を援助し,あわせて人間関係調整における専門的臨床家としての地位の確立を目指し,専門家集団の結成に踏み切ることにした」とあり, 心理・教育相談室の開設,弁護士(会)の依頼に応じて行う人間関係諸科学の側面からの援助,諸団体の求めによって行う講演及び会員の研究会, 同種の専門家との連携協力の事業を行うとしています。
和田 9月30日には発会式を行う予定でしたが,弁護士会との協議をしておく必要があるということで延期になり,それから在京三弁護士会との懇談, 以後窓口となった第二弁護士会と5回,三弁護士会と4回の懇談会を経て,昭和62年3月24日に在京三弁護士会と東京ファミリーカウンセラー協会(TFCA)の協定が成立しました。 協定書の中に「TFCAの相談業務とは,相談者が,自己の直面する問題について,理性的に自律的な解決ができるように援助する活動であって, 法律相談および示談交渉を含まないものであることを確認する」という1項がありました。弁護士会との協定が成立し, 昭和62年5月7日に東京ファミリーカウンセラー協会設立総会・発会式が法曹会館で行われました。会員候補者24人が参加し,初代会長に沼邊愛一先生, 常務理事に新井実暁さんが就任され,会則,運営細則,倫理綱領が採択されました。事務所は,新井常務理事宅に置くことになりました。来賓23人が出席され, 加藤一郎氏,吉岡進氏,高野耕一氏,鍛冶千鶴子氏ら,著名な方々が祝辞を述べられました。こんな小さな団体なのにと,とても嬉しかったことを覚えています。 しかし,この日を一番待ち望んでくださっていた野田先生は,札幌高裁長官をされていて,ご臨席されなかったのがとても残念でした。
司会 事務所を常務理事のご自宅に置き,相談室もない出発で大変苦労されたと聞いていますが。
和田 それは大変で,借り暮らしの毎日でした。会員それぞれが知人の縁故で,バンドの楽器が置いてあるホール,ミニミニホール学芸大,サイコサプライセンター, 教会,喫茶店などを使用したり,会員が自宅やゆかりの場所を提供して,南浦和相談室,横浜相談室,光が丘相談室,目黒相談室, 市川相談室等と称して相談を行ったりしていました。昭和63年5月12日には第2回定時総会をみやこ荘で開催(会員28人)しました。この年の9月から講演業務を, 平成元年3月から鑑定業務を開始しています。野田先生のご尽力で,平成元年5月から国際教育交流馬場財団(市ヶ谷)の1室を週2日, 事務所兼相談室として貸していただくことになり,初めて拠点らしいものを持つことができましたが,それでも借り暮らしは続きました。 同年12月に羽村相談室(並木心会員宅)開設の際は,野田顧問に記念講演をしていただきました。平成3年2月に馬場財団の移転によりTFCAの事務所も外神田へ移転しました。 同年5月22日に第5回定時総会が法曹会館で開催(会員57人)され,萩原太郎氏が第2代会長に就任されました。同年8月7日に新井さん,椎野さん,私の3人が家庭局に呼ばれ, 山田家庭局長から「これからはTFCAを全面的に応援する」旨を告げられ,びっくりしました。
山田 当時は,勧奨退職ではなく定年退職が断行されつつある状況でしたので,事務総局のなかで, 調査官が在職中に培った家庭問題に関する専門的知識や技法を退職後に社会還元するために設立したTFCAをもっとバックアップしてはどうかという意見が出てきて, 家庭局が本格的に支援することになったので,それを伝えることになったわけです。9月12日には萩原会長と今後の方針について協議し,9月24日には篠田さん, 瓜生さんらの幹部と家庭局との協議を行っています。
篠田 平成3年3月に退職して帰って来たら,早速野田先生から法務省の中央更生保護審査会委員室に呼ばれて,TFCAの法人化に向けて企業に働きかけるための予算, 資料を作ってほしい,事務所がないと世間は信用しないなどと言われ,瓜生さんと安田生命や弘済会の相談室などを見に行ったり,物件を探したりしましたが, 適当なものが見つかりませんでしたね。法人化については,菊地和典さんあたりが少年友の会と一緒になって財団法人にするとか, 財団法人になるには2億円か3億円が必要だからとても駄目だとか,やはり社団にするかとかアバウトな段階でしたね。
永田 当時,家庭局にいて財団と社団法人についての資料を集めて提供した覚えがあります。
浦田 8月には,桧山正会員を中心に宇都宮相談室設立準備会が開催されています。また,盛岡地家裁所長をされた糟谷忠男公証人は, かねてから公正証書遺言立会証人として,守秘義務の訓練を受けているTFCA会員は適任者であると言われ,そのことを公証人協会報にも紹介してくださいました。
司会 平成4年2月13日に着任された千種秀夫事務総長は,着任早々,山田家庭局長から家庭局所管事項の説明を受けられ, その中でTFCAが事務所と相談室がなくて苦労していることをお聞きになって,早速,家庭審議官をしていた私が事務総長室に呼ばれて,明日, 増岡章三弁護士(元日弁連事務総長)に来ていただくから説明するようにとのことで,翌日,増岡弁護士にTFCAの現状について説明しました。 千種事務総長と増岡弁護士は,相談室は人の出入りの多いデパートの中などがよいなどと話し合われ, 増岡弁護士は事務所と相談室の確保に協力する旨を約束されて帰られました。その後,増岡弁護士のご尽力とセゾン生命の生野重夫会長のご英断で, サンシャイン60ビルの3階の1室(70u)を2年間,年間1,000万円以上のテナント料等はセゾングループが負担して無償で貸与してくださることになりました。
浦田 平成4年5月13日に法曹会館で開催された第6回定時総会の開会挨拶の中で,萩原会長は,「本年度は当会の歩みの上で画期的な年になる。 この度最高裁事務総局,野田先生のご尽力により,馬場財団以外の場所に事務所兼面接室の新設の目途がついた。それに伴い, 業務の飛躍的発展が期待できる可能性が高まったと同時に,関係各位のご尽力,ご配慮にお応えせねばならない責務を負ったことになる」と述べられ, 会員(84人)の喜びと士気は大いに高まり,全国規模の支援態勢作りなどが話し合われました。当時の会員の苦労を偲ぶために, TFCAが開設以来5年間で面接相談に借りた部屋の一部を紹介しますと,馬場財団の事務室37回,目白サイコサプライセンター8回,ミニミニホール学芸大7回, 与野社会福祉協議会3回,竹前ルリ会員の恵比寿聖徒教会44回,担当者自宅19回,喫茶店17回などとなっており,理事会,会議に使用した部屋は,馬場財団の事務室23回, みやこ荘10回,中央官庁渋谷会議所4回などです。このような借り暮らしから解放される喜びは計り知れないものでした。
和田 野田先生の根回しがあったのだと思いますが,TFCAが間もなくサンシャイン60ビルに相談室を開設することをマスコミは大々的に取り上げてくれました。 その一部を紹介しますと,8月26日にはNHKラジオ第一放送午前8時5分から18分までの「時の話題」で,松尾龍彦解説委員が「元家庭裁判所調査官の相談室」として, TFCAの役割の大きさについて解説していただきました。 8月29日のサンケイリビング新聞には,野田顧問のインタビュー記事「家裁調査官の経験を役立てたい」でTFCAを大きく取り上げています。 9月9日には,読売新聞が夕刊で「家裁元調査官が相談室―あす,池袋にオープン」と報じ,翌10日には, 朝日新聞が夕刊に写真入りで「家裁調査官OBが相談室―経験生かし社会貢献」と大きく報じてくれました。 17日には,東京新聞が夕刊に写真入りで「家裁調査官OBが家庭内悩み事相談所―知識,経験豊かな70人―孤独な人の精神的支えに」と大きく報じ,このほか, 地方紙や雑誌でも取り上げてくれました。電話当番は,引っ切りなしの相談申込にてんてこ舞いをしていたことを思い出します。

第2 サンシャイン60ビル,そしてFPICへ

司会 鳴り物入りでのサンシャイン60ビルでの事務所と相談室の開設ですが‥‥。
浦田 その前の6月末,入居する部屋に行ってみましたが,まだ何にも入っていない状態で,それから瓜生さんらが考えたレイアウトに従って部屋の改装工事が行われました。 工事が完了して,いよいよ物品を搬入する日には,セゾン生命の職員の方々が倉庫にあった机,椅子,ロッカーなどを搬入してくれました。 驚いたのは,事務所には必需品だからといって大きな金庫を運んで来られたことです。最高裁の経理局の倉庫からもロッカー等をいただいたと思います。 会員は日用品や時計などの備品を持ち寄り,真板彰子さんは大きな書棚,岡部美代子さんは間仕切りになる大きな衝立などを寄附されました。金子さんは, 相談室の応接用の椅子8脚を寄附され,その椅子は2年ほど前に,金子さんが自費で新しく張り替えて,今でも児童室などで使っています。金子さんといえば, 生野会長のご恩に少しでも報いたいということで,何人かでセゾン生命の保険に入りましたが,金子さんは満期の10年後に還ってきた保険金の一部を寄附され, それを懸賞金として,現在のFPICのロゴマークができました。まだ残金があるので,それでFPICのバッジを作ろうという案が出ていて, 公証役場に立会証人に行く会員につけてもらったらという意見もあります。
山田 私もバッジがあったほうがよいと思います。鶴岡さんあたりが実行委員となって検討してください。
司会 平成4年9月10日にTFCAのサンシャイン60ビルの事務所と相談室はオープンされました。そして9月30日に, 新しい事務所と相談室の開設記念祝賀会が行われていますが,事務局長をされていた瓜生さんから紹介していただきましょう。
瓜生 当日の会場は,サンシャイン60ビル6階のサンシャインクラブで,名簿によると招待客は,矢口前最高裁長官, 最高裁から千種事務総長・山田家庭局長等各局の局長,秘書課長,東京地家裁所長,調研所長,法務省民事局長・第4課長,東京都金平副知事,在京三弁護士会会長, 増岡弁護士,生野セゾン生命会長,各新聞社部長,松尾NHK解説委員,沼邊・野田・河合隼雄顧問等67人,TFCAから萩原会長,新井常務理事,瓜生事務局長, 浦田相談室長等の役員,正会員84人,賛助会員36人などです。本当に最高裁事務総局挙げてのバックアップだったのだと実感しました。そして, TFCAが公私の関係団体に公認された日でした。
司会 事務所・相談室が確保されて,いよいよ野田先生を中心に法人化に向けて,具体的に動き出したようですね。
永田 法人化の動きは,サンシャイン60ビルに事務所・相談室を置けるという時点から本格的な検討に入り,篠田さん, 瓜生さんたちが委員となって家庭局と協議を重ねていました。定款や運営細則等は青木晋局付が策定作業をされていました。 具体的な法人化の折衝は,野田先生が清水湛法務省民事局長と家庭局が寺田逸郎法務省民事局第4課長と折衝されていたのではないかと思います。
司会 家庭問題情報センターという名称は,どのようにして決まったのでしょうか。
和田 TFCAの理事会でもいろいろ検討されていました。情報は諜報に通じ誤解されるとか,家庭問題センターでよいのではないかとか, 内に籠るのではなく外に向けて積極的に情報を発信していくという意味から家庭問題情報センターがよいとか,喧々諤々の検討の挙句, 瓜生さんらが押された家庭問題情報センターに落ち着いたと記憶しています。青木局付が定款などを策定されるときは, 社団法人家庭問題情報センターの名称が固まっていたのではないかと思います。
司会 平成5年3月6日には,臨時総会が法曹会館で開催され,TFCAの解散決議と社団法人家庭問題情報センター(FPIC)の設立決議が行われています。 そのときのFPICの設立趣意書,これは瓜生さんが書かれたと聞いていますが,その一部を紹介しますと,TFCAの活動経験を踏まえて,家庭問題の事後対応では不十分であり, 予防的対策として充実した家庭生活を目指した援助が必要と考えるに至ったとし,「そこで私達はTFCAの組織,活動を発展させ,人間関係諸科学を活用し, 家庭問題に関する調査,研究,広報,講演,相談等の活動を通じて健全な家庭の育成に寄与貢献することを目的として, 次の事業を行う社団法人「家庭問題情報センター」([FPIC]と略称する。)を設立しようとするものです。」とあり,事業としては, 現在の定款にあるものから面会交流援助事業と委託事業を除いたものが掲げられています。  FPICの設立が許可される6日前の平成5年3月25日付けでTFCAの家庭問題情報誌「ふぁみりお」第1号が発刊されていますが,「ふぁみりお」の名称は,  編集部員だった金子さんの発案だったようですね。
金子 最高裁の図書館で,最初はラテン語かギリシャ語から選ぼうと探していたのですが,たまたまエスペラント語の辞書があって,家族はfamilioとあったので, これを提案して採用されました。カタカナではなくひらがなにしたため,柔らかな印象を与えるようです。「ふぁみりお」第1号には,萩原会長,生野重夫セゾン生命会長, 河合隼雄国際日本文化研究センター教授,野田愛子中央更生保護審査会委員などが執筆されています。
司会 平成5年3月31日に社団法人家庭問題情報センター設立の法務大臣の許可があり,即日登記がなされ,FPICが発足しています。
瓜生 当日,萩原会長にお供して法務省に行き,大臣の許可証をいただき,私と永田さんで豊島区の登記所に直行して登記しました。 法務省から事前に電話があったとのことで,全てがスムーズにいき,法務省の温かい配慮をありがたいと思いました。
 陣容は次のとおりです。
 理事長 萩原太郎  副理事長 野田愛子
 専務理事 篠田悦和 常務理事 瓜生 武 
 相談室長 浦田 久 
篠田 4月からは野田副理事長,瓜生さんや私らが寄附金や法人特別会員への加入のお願いに経団連社会貢献部,新日鉄,不動建設,三井物産,資生堂,味の素, 伊勢丹等への訪問を開始しました。 慶応大学米津昭子教授も野田副理事長に訪問したらよいと思われる企業を紹介してくださっていたようです。
金子 私も何度か野田先生とご一緒に企業回りをしましたが,セゾングループと対立すると思われるところでも,臆する様子もなく熱心に説得され, 法人会員としての加入は無理ですが寄附をさせてくださいというところが何か所かありました。不動建設の式村社長が法人特別会員第1号を快諾され,他の企業を紹介してくださったりしました。
瓜生 一方では,FPICの披露パーティーに向けての招待客,招待状,テレホンカードのデザイン,挨拶者への依頼,当日の受付態勢等について,FPICの幹部は家庭局とも協議しながら, 多忙を極める毎日でした。
司会 平成5年5月17日に社団法人家庭問題情報センター設立披露パーティーがサンシャイン60ビルで開催されていますが‥‥。
瓜生 当日の名簿を見ると,招待者総計96人となっていて,千種秀夫最高裁事務総長,木村要家庭局長他事務総局の局長・秘書課長,栗原平八郎東京高裁長官,大石忠生東京家裁所長, 近隣家裁首次席調査官,生野重夫セゾン生命会長,松尾龍彦NHK解説委員,日弁連事務総長,在京三弁護士会会長,マスコミ関係者等計68人,顧問である矢口洪一元最高裁長官,沼邊愛一元TFCA会長, 増岡章三弁護士,新井実暁元TFCA常務理事,金平輝子東京都副知事等計20人,特別会員である糟谷忠男公証人,井芹哲也昭和女子大教授等計8人などとなっています。 錚々たる方々がFPICの誕生を心から喜んでくださって,会員にとっては本当に晴れがましい祝賀パーティーでした。
司会 5月26日に大阪家裁奥野首席調査官が家庭局を訪れ,「大阪相談室OFCAの事務所として楠本氏宅を予定していたが,北区天満にあるMICSの2階5uのブースを事務所とし, 面接室は1階の談話室を時間借りし,受付はフロントの女性が引き受けてくれる。MICSは身体面の相談を行っており,歓迎してくれている。賃料等は月額6〜8万円」と報告していただいています。 また,6月14日 には,福岡ファミリー相談室の小山逸雄会員から「当相談室の開設披露パーティーは5月25日に行ったが,NHKの「ネットワーク九州」で5分間放映された。 立石和枝会員のインタビューとパーティーでの高裁長官の挨拶場面等であった。弁護士会から,家庭問題に関する講演及び弁護士会主催の相談会への協力依頼があり, 協議を申し込まれている」との電話がありました。
瓜生 6月10日に萩原理事長から,「日弁連では,FPICは非弁活動をしているのではないかということで,調査委員会を設置する動きがあると聞いた。事情を聞きたいと言って来るだろうから, FPIC , OFCA 及び福岡相談室の弁護士会との協定書の写しなどのデータをそろえて,篠田,瓜生,浦田の3理事で対応してほしい」と命じられました。それで6月21日, 篠田さんと一緒に増岡顧問に相談に行きました。増岡顧問は,「裁判所がバックアップしている法人なので,活動が活発になり,非弁活動をどんどんやることにならないかと心配してのことではないか。 目的が人間関係調整であっても法律に触れることがあるが,そこについては,来談者に対し,相談終了時に「もっと細かな点を確認したければ弁護士会を紹介してあげてもよい」 と必ず告げるようなルールを作ればよい」との助言をいただきました。東京弁護士会の多賀副会長から電話で,7月5日午後4時に在京三弁護士会の副会長が訪問されるとのことでした。 それに備え,篠田さんが作成した「FPICファミリー・カウンセラー実務基準」等の資料を,各副会長に送付しました。7月5日に在京三弁護士会副会長が訪問され,次のように話されました。 「○ 日弁連から,FPICは非弁活動の疑いがあるので調査するようにと言われたが,私たちは非弁活動をされているとは考えていない。それよりも, 今後弁護士会とFPICとの関係をより良いものとしたいと考えて訪問した。○ FPICで扱った相談のうち,法律問題であったものを弁護士会に積極的に紹介してほしい。 ○「FPICファミリー・カウンセラー実務基準」は大変良くできていると思う。○ TFCA社団法人として新たに発足したので,新たな基本協定書を作りたい。○ 在京三弁護士会としては, FPICとの協力関係を維持していきたいので,今後ともよろしくお願いしたい」と極めて友好的な対応に安堵しました。 そして,弁護士会との協議を重ねて平成5年9月22日に在京三弁護士会との協定書ができました。
浦田 少しもどりますが,7月5日に生野セゾン生命会長から電話があり,「3階は初秋には立ち退かなければならないので,5階に移ってほしい」とのことでしたので, 部屋を見に行ってみたら,10uほど広くなり,窓も二つあり,今の部屋よりかなり良い部屋だと分かり安心しました。 因みに,この5階の部屋で約束の2年間の貸与期限が来たのですが,財政的に自立できる状況ではなかったため,萩原会長が生野会長に1年間の延長をお願いされたところ, 生野会長が快く承諾されたのには,感激しました。
金子 平成5年(1993年)6月25日付けで,FPIC刊行としては初めての「ふぁみりお」第2号が発行されました。この座談会が掲載されるのが「ふぁみりお」第51号ですから, FPICの刊行になってからの50号目になります。

第3 FPICの研究と野田愛子先生

司会 これまでTFCAからFPICの黎明期について紹介していただきましたが,これからはFPICの研究と野田先生との関わりについて話していただきます。 野田先生と一緒に国際学会に出席されていた遠藤さんから口火を切ってもらいましょうか。
遠藤 ローエイシア(LAWASIA) というアジア・太平洋地域の法曹団体及び法律家の団体がありますが,その目的とするところは、相互の交流を通じて、 各国の司法制度、法律制度、法学教育制度が適切に整備・運用されるように協力し合い地域社会の発展と国際交流を深めることにあります。 私が最初に野田先生と一緒に参加したのは,このローエイシアが1993年7月にオーストラリアのシドニーで開催した「家族法と子どもの権利に関する第1回世界大会」でした。 野田先生は,家族の中でも弱い立場にある子どもと年寄りの問題に力を入れられていて, このときもアジア地域で問題になっていた児童労働や児童売買春が取り上げられました(「ふぁみりお」3号参照)。 野田先生は,ローエイシアなど家裁に関係のある国際学会には,いつも参加者として家事調停委員,調査官などを募集し, 一団を引き連れて行かれるのが恒例となっていました。そして単に学会に参加するだけではなく,懇親会などで海外の参加者との交歓を大事にされていました。 言葉を話せない団員を溶け込ませる気配りをされ,いつの間にか皆が和気あいあいとなっていました。 さらに2〜3人ずつに別れて,その地の裁判官や弁護士の自宅を訪問することも手配され,歓待を受けました。もちろん,観光も組み込まれていて, 大自然や歴史的モニュメントの見学を楽しませていただきました。1995年9月には,野田先生が企画されたカナダでの後見制度研修会に参加しました。 わが国では成年後見制度の立ち上げの準備中で,その点での先進国カナダの制度を学び現場を視察することを目的としていましたが, カルガリーとバンクーバーの家庭裁判所では,家事事件のミディエーションの場に同席するという貴重な体験をすることもできました(「ふぁみりお」9号参照)。 2001年9月にはイギリスのバースで開催された「家族法と子どもの権利についての世界会議」に参加しました。 このときも野田先生の気配りにより,晩餐会での交歓や湖水地方の観光など楽しい想い出がいっぱいあります。 2003年9月には,日本がホスト国になって「第18回ローエイシア東京大会」がホテルニューオータニで開催されました。 野田先生がお膳立てに大きな役割を果たされ,家事調停委員,調査官等も結集してお手伝いし,参加しました。この大会で, 野田先生が調査官のことを大きく宣伝してくださったことを思い出します(「ふぁみりお」31号参照)。 これらのイベントについてはその都度「ふぁみりお」に紹介させていただいています。先ほどは,TFCAやFPICの組織作りへの野田先生の手腕,ご功績が紹介されましたが, 会員を楽しませながら国際的な舞台に導いてくださったご功績も特筆すべきことだと思います。
司会 山口さんも研究の面では,野田先生に助けていただいたほうではありませんか。
山口 私が事務局長を仰せつかっていた平成15年にFPICは創立10周年を迎えることになりましたが,手元不如意の財政で記念行事を開催するのに困っていたとき, 野田先生が魔法のように資金を調達してくださって,3月29日に「社団法人家庭問題情報センター創立10周年記念パーティー」を法曹会館で盛大に開催することができました。 パーティーの前には講演会があり,野田先生の「世界における家族問題の動向―21世紀の家族法」の講演は, 参集していただいた来賓,会員の皆さんに深い感銘を与えました(「ふぁみりお」2001.6.25特別号参照)。 野田先生がアジア女性基金から「DVの援助者のためのリーフレットの作成」,「女性のための電話相談」等の助成を受けられるようにしていただきました。 三菱財団から2年間で800万円の研究助成を受けることができたのも野田先生のお陰です。また,主婦会館と折衝していただいて, 週1日,主婦会館四谷プラザエフの1室を借りることができるようになり,金曜日の四谷相談室を立ち上げることができました。 面会交流援助事業にも力を入れていただき,面会交流をしない場合の弊害を大々的に宣伝しなさいなどと助言していただいたりしました。
司会 野田先生は,ひところ,お会いする度に,アメリカでワラスタインが行った離婚家族の25年追跡調査をFPICで行うべきだと力説されていましたが, その度に日本では離婚家族を特定したり,追跡したりすることは不可能ですと返事していました。しかし,あるとき,FPICのホームページを使って呼びかければ, 親の離婚後25年たった子の意見を聴くことはできるかも知れませんと言ったところ,それに飛びつかれて,篠田さんがキャップとなった研究になったと思います。
篠田 鶴の一声でしたね。当時の白倉事務局長が研究員の人選をしてくれましたが,若い人を多く起用してくれたので, 調査後のパソコンを駆使しての整理などで助かりました。ホームページで呼びかけたら,たくさんの人が応じてくれました。80歳のお婆さんが, 幼いころに両親が離婚した日の悲しみを昨日のことのように話してくれたのには,胸が詰まりましたね。「離婚した親と子どもの声を聴く」という立派な研究報告書となり, 専門家からも高い評価を受けることができました。野田先生もたいへん喜ばれて,一席を設けて研究メンバーの労をねぎらっていただきましたが, そのとき,野田先生の長年の思いを少しはかなえることができたかなと思いました。
司会 昭和60年ごろに調査官OBたちが,社会貢献のための組織を作ろうと動き始めてから25年の歳月が流れました。 お話に出てきたTFCAの設立と活動に献身的に尽くされた沼邊愛一会長,新井実暁常務理事,FPICの誕生に奔走された萩原太郎会長等も既に鬼籍に入っておられます。 そして,昨年末から本年にかけて,FPICにとっての大恩人とも言うべき生野重夫元セゾン生命会長と野田愛子前理事長のご逝去に遭遇しました。 私たちは,これらの方々への感謝と鎮魂のためにも,公益社団法人への移行認定を受けて,より一層社会に貢献する団体になることを目指したいと思います。 本日は,長時間ご協力いただいて,まことにありがとうございました。


【「ふぁみりお」51号の記事・その他】

機関誌「ふぁみりお」は、財団法人日本宝くじ協会の助成を受けて作成されています。

「TFCAからFPICへの歩み」主要年譜
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