家庭問題情報誌 ふぁみりお 第30号(2003.10.25発行)

  日本人にとってオランダという国は、現在よりも江戸時代のほうが身近な存在だったのかもしれません。 医術をはじめ近代的西欧文明の多くは長崎のオランダ人を通して輸入されていたからです。 オランダに関して、最近、世界的な話題になっているのが安楽死を合法化したこととオランダ・モデルといわれるワークシェアリングにより、オランダ病といわれた大不況から脱出し、 「オランダの奇跡」をもたらしたことです。
  オランダ・モデルのワークシェアリングは、バブル経済崩壊後、デフレが進行し、景気が低迷し、失業者が増加している日本にも奇跡をもたらすことができるのでしょうか。 ここでは、オランダ・モデルのワークシェアリングについて紹介してみたいと思います。
  なお、適宜引用・参照させていただいた主な参考文献は、長坂寿久『オランダモデル』(日経新聞社)、熊沢誠『リストラとワークシェアリング』(岩波新書)、 asahi.comシンポジウム「ワークシェアリングは働きやすい社会を可能にするか」(03.7.11)等です。

1 オランダ病

 経済用語として「オランダ病」という言葉が国際的に定着しています。 それは、産出する天然資源の価格の高騰により莫大な不労所得を得た国が、財政支出を膨張させるなどして経済政策の運営を誤ったことによりもたらされる経済危機を表す言葉です。  1970年代、北海におけるオランダの天然ガスの発見とその輸出ブームは、オランダに膨大な為替収入をもたらしました。 資源輸出の増加は、為替レートを過剰に上昇させ、他の貿易部門、特に製造業部門などの国際競争力を阻害していたのですが、 天然ガス・ブームによる財政収入の増加は、政府支出を膨張させ続け、社会福祉制度も次々に拡充され、オランダはヨーロッパで最も社会保障制度が充実した豊かな国となっていたのです。
 しかし、その後、ブームが去って一次産品の価格が下落し、財政収入が縮小したにもかかわらず、財政支出は高い水準のままで、 特に、拡充された社会保障制度を維持するには増税するしかありませんでした。労働者の賃金も高い水準のままでしたので、ブームが終息したときは、企業の国際競争力は失われ、 失業者は増大し、オランダ経済は大不況に陥っていたのです。なんとなく身につまされる話ではありませんか。

2 オランダの奇跡

 1980年代初めのオランダは、政府の財政は管理不能の状態であり、税負担は急増し、労働コストは高騰し、失業率は12%に達し、もはやオランダに未来はないといわれるような状態にありました。 このようなどん底から再起をかけて、オランダの政府、経営者団体、労働組合連盟の三者は、1982年から1983年にかけて、いわゆるワッセナー合意に達しました。 ワッセナー合意の要点は、
 (1) 労働組合は賃金抑制に協力する。
 (2) 経営者は雇用の維持と就労時間の短縮に努める。
 (3) 政府は減税と財政支出の抑制を図り、国際競争力を高めるための企業投資を活発化し、雇用の増加を達成する。
というものです。
 その結果、全世界が「オランダの奇跡」と呼ぶほどの成果を上げたのです。 つまり、1996〜2000年の経済成長率は、EU15カ国2.4%に対してオランダは3.1%であり、83年にはオランダの失業率は12%もあったものが、2002年には1%を切り、 むしろ労働力の不足が心配されています。財政赤字は解消し、黒字に転換しています。賃金抑制に成功し、他の国が製造業の労働コストを上昇させているのに、 オランダは上昇せず、国際競争力は著しく強化されています。
 このような奇跡的な立ち直りの根幹には、「オランダ・モデル」といわれるワークシェアリングのやり方があります。 皆さんは、割り勘にするというのを英語ではgo Dutch(オランダ式でやる)といっているのをご存知ですか。 皆で均等にやろうという精神が、オランダ・モデルのワークシェアリングの根底にあることを感じさせます。

3 オランダ・モデルといわれるワークシェアリング

 オランダでは、それまでフルタイム勤務の正社員のみが優遇され、パートタイム勤務の社員が冷遇されていましたが、 オランダ・モデルではパートタイム勤務の社員が待遇面で受けていたいろいろな差別を禁止しました。
 つまり、
 (1) 同一労働価値であれば、パートタイム労働社員とフルタイム労働社員との時間あたりの賃金は同じにする。
 (2) 社会保険、育児・介護休暇等も同じ条件で付与される。
 (3) フルタイム労働とパートタイム労働の転換は労働者の請求によって自由に変えられる。
  という制度になったのです。
  労働時間による差別がなくなることによって、フルタイム勤務にしがみついているメリットがなくなったために、オランダの人々は次のような勤務形態の中から自由に選択できるようになりました。
 (1) フルタイム勤務 
 週36〜38時間労働で週休2日
 (2) 大パートタイム勤務 
 週約30〜35時間労働で週休3日
 (3) ハーフタイム勤務
 週15〜29時間労働
 (4) 短時間パート勤務
 週12時間未満労働
 この他に、臨時的に派遣されて働くフレキシブル労働者や使用者からの呼び出しに応じて働くオンコール労働者があります。
 このように勤務形態を多様化し、待遇面の差別を撤廃した結果、週休2日のフルタイム勤務の者が週休3日のパートタイム勤務への転換を求めるようになりました。 公務員をはじめとして高等教育を受けた者ほどパートタイム勤務への志向が強いとのことです。

4 夫婦2人で1.5人分働き、0.5人分は家族のために

 週休3日のパートタイム勤務制などにより、それまで子育てや家事労働の専従者として家の中に閉じ込められていた母親の社会進出が容易になり、 女性の就労人口が格段に増加しました。さらに、幼い子どもを抱える父親がフルタイム勤務からパートタイム勤務に切り替えるなどして、 ウイークデーでも共働きの両親のどちらかが在宅して子どもの面倒をみたり、家事をすることができるようになりました。
 もともと家族を大事にする国民性といわれるオランダ人は、夫婦2人で1.5人分を働き、0.5人分は他の人に譲り、その時間を家族のための時間にあてようというのです。 母親の就労が家庭の中に会社人間を2人つくることにならないように、父親が家庭にいる時間を増やし、家庭の中に閉じ込められていた母親を解放し、自己実現の時間にあてさせようというものでしょう。

5 オランダ・モデルの影の部分

 これまではオランダ・モデルの光の部分だけを紹介してきましたが、影の部分、つまりマイナス面があるのも事実です。
 マイナス面の第1は、同一労働価値、同一賃金ということからフルタイム勤務者の割合が減少し、パートタイム勤務者の割合が増え、 かつ週休が増えた結果、企業への忠誠心や愛社精神が薄れ、熟練工やエキスパートが育たなくなっており、製品の質的劣化が起こっているということです。 これは、会社人間を家庭に少し引き戻そうという光の部分と裏腹の関係にありますが、特に献身の精神が求められる福祉、医療、教育の現場では大きな問題となっているようで、 この分野ではこれらのシステムを導入すべきではなかったという意見も出ているようです。
 マイナス面の第2は、夫婦2人で1.5人分といっても、夫と妻が平等に0.75人分ずつとはならず、実際には夫が1.0人分で妻が0.5人分となっていることが多いということです。 つまり、夫はフルタイム勤務、妻はパートタイム勤務というのが多いということで、しかも出産すると仕事を辞めて子育てに専念する妻が多く、 妻も夫と同じく1.0人分働くのが普通となっているスウェーデンなどからは、男女共同参画社会としては中途半端であると攻撃されているようです。 これに対してオランダからは、家庭生活を楽しむゆとりのない就労など願い下げであるとの反論があるようです。
 マイナス面の第3は、0.5人分は家族のためにあてるという理想にもかかわらず、実際には、一つの仕事だけでは時間的に余裕があるため、複数の職場を掛け持ちで働く人が出てきており、 かえって家族にしわ寄せがきている例も見られるというものです。また、性別役割意識は依然として強く、家事・育児の負担は妻に偏っていることが多いとのことです。
マイナス面の第4は、製品の質は低下したのにコストは高くなってしまったということです。

6 おわりに

 一国の制度や政策が実施されるには、それを支える多くのシステムや国民性がからんでおり、他の国で成功したからといって、その部分だけをつまみ食い的に導入してもうまくいくはずがありません。 例えば、高校までは授業料が無料で、大学は授業料を払っても生活費をまかなえるほどの政府補助があり、老後のケアは充実しているオランダでは、定年前に退職して、 その後は年金で生活を十分楽しむことができるのに、定年後も働き続けないと生活できないわが国とでは、同一に論じることができません。 また、オランダと違い、わが国の20分の1か30分の1の低賃金で働く近隣諸国を抱えている日本では、産業の空洞化が起こっており、製品のコストではなく質で勝負するしかない状況にありますが、 その中でオランダ・モデルのワークシェアリングをそのまま導入するには無理がありましょう。
 しかし、他のことはともかく、オランダ・モデルが掲げた0.5人分は家族のためにあてるという精神だけは、是非わが国に導入してほしいものです。 両親の就労が家庭に2人の会社人間をつくるのではなく、家族に責任を持つ2人の労働者をつくることであってほしいと願っているからです。

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