家庭問題情報誌ふぁみりお 第22号

FPIC連続セミナー 親の離婚にゆれる子どもの心と父親の役割



 FPICが開催しているセミナー「親の離婚にゆれる子どもの心と父親の役割」において,自分たちの体験が皆さんのお役に立つのであればと,子どもと別れて暮らす3人のお父さんが,子どもとの面会交流の実情を赤裸々に発表してくださいました。
 子どもをかかえての離婚については,母親の立場からのメッセージは比較的多いのですが,父親からのメッセージはまだまだ少ないように思われます。この3人のお父さんの了解を得て,セミナーでの発表の要旨を抄録してみました。

15分が結ぶ父と子の細い糸
― 高橋(仮名) ―
 実は,私はまだ離婚していません。離婚できないでいるというのが正確です。妻とは3年前に別居しています。子どもは小3の長男と小2の長女の2人です。結婚して別居するまで7年間を一緒に過ごしました。別居する直前にちょっとした事件が起きて,思わぬことからそういう結果になりました。
 妻と子どもの3人が実家に引き揚げて,子どもは囲われてしまった状況です。子どもを何とかしなければと思い,子どもの引渡請求をしましたがうまくいかず,取り下げました。それは家裁の調査官から,「2年も3年も時間をかけるよりは,会ってやる方が大切で,その方が子どもにとってもいいのではないか」との説得を受けたからです。引渡請求を面接交渉(面会交流)の調停申立てに切り替えました。それから1年かかって,やっと月1回,まる1日子どもと会うということで調停が成立しました。
 ところが,子どもは物ではありませんから,いくら調停で決められたとしても,実際には,子どもが嫌がるからとか,ちょっと会わせたくないからとか,いろんな理由をつけられて,会えない状態が直ぐにやってきました。家裁からも妻の方に「とにかく履行しなさい」と,履行勧告をしてくれましたが,会えない状態が続きました。今は弁護士にお願いして,柔らかく介入してもらって,とにかく立ち話でもよいからということで,月に1回土曜日の4時半から,ある駅前で15分だけ立ち話をしています。それも来たり,来なかったりで,2〜3か月に1回というのが現状です。
 「お父さんとご飯でも食べに行くか?」と聞くと「行かない」と言います。子どもの立場としては,家に帰ると母親とか祖父母とか,同居人に対して会わす顔がないのです。行かないというのは,行けないという意味です。それがひしひしと伝わってくるので,無理を言ってはいけないと,非常に胸が痛む思いをしています。会わない方が,子どもに負担がかからなくていいのではないかと感じることもありますが,やはり「私にはお父さんがいるんだ」ということを,子どもの心のどこかに置いてやるために,細い糸でもつなげておくことが大事ではないかと思っています。
 別居してからボランティア団体とか,いろんなところに顔を出すようになりました。そこでは,順風満帆の人生では経験できないような出会いがあり,狭い視野が広がったような気がします。スーパーなどで,同じ年頃の子どもがわーっと泣いていたりすると,胸が痛くなってどうしようもない気持ちになることもありますが,ずっと一緒でベタベタしているよりはよかったのかなという気持ちもあります。
 子どもとは細い糸になってしまいましたし,妻とのこともはっきりさせないといけない時がいずれくるのですが,生きいきとした父親であることが子どもにとっては誇りだと思うので,かっこいいのですけど,そういうことをちょっと思っています。しかし,現実は厳しくて,この前も小学校の担任が変わったので,「こんな状況ですが,よろしく」とお願いに行こうとしたら,教頭と談判し,校長と談判し,教育委員会にお願いして,弁護士からもフォローの電話を入れてもらって,やっとのことで担任の先生に会え,教室に貼ってある子どもの絵画や習字を見せてもらいました。こんな苦労もあります。一緒に暮らす可能性のある人がいらっしゃったら,なるべく一緒にやる方向でやっていただけたらいいなと思います。
再婚しても父と子のいい関係
― 佐藤(仮名) ―
 これから,私が結婚し,別居し,離婚し,そして再婚し,その間の子どもとの関係について順次お話いたします。
 最初に結婚したのは私が25歳のときで,3年目に長女が生まれ,その1年半後に長男が生まれました。長女が生まれたとき,妻の実家の土地に家を建てて住みました。結婚して11年,今から5年ほど前に,下の子が小学校に入ったのを機に,妻は自分の希望でパートに働きに出ました。そうなると今までは出てこなかった問題がいろいろと表面に出てきて,夫婦で言い合いになり,そのうち別居したいと妻が言い出しました。娘は小3で,両親が言い合いをしているのがすごく嫌だったようです。「もうやめてちょうだいよ」という一言が出たときに,これは別れる方向でいかざるをえないのかと思いました。
 それで私は自分の実家に帰り,週末は母親がパートをしていた関係で,元いた家に私が戻り,土日は私が面倒を見て,平日は母親が見るという形で,とりあえず別居をしました。
 夏休みには3人で北海道に旅行したりしていましたが,徐々に子どもと会う機会が少なくなり,土日から日曜日だけになり,月に2回になりという形で,現在は月1回,日曜日に会っています。
 私たちは離婚し,今年私は再婚しましたが,離婚や再婚を子どもにどう告げるか,どこまで理解してくれるか,どう感じるか不安でした。私から直接言った方がよいのか,母親の方から聞かされた方がいいのか悩みました。今度結婚した妻も両親が離婚してお母さんに育てられた経験者であり,「やはり直接話した方が絶対いいわよ」と言うので,それじゃということで娘に話しました。「お父さんもこれからもう長い人生じゃないだろうから,思ったようにした方がいいんじゃないの。直接話してくれてよかった」という娘の言葉を聞いて,ああよかったと思ったし,これからも何とかこの関係を続けていけるのではないかという気がしています。
 悩んでいる時期にはボランティアをしたり,いろんなセミナーに参加したりして勉強をし,多くの人と出会えました。親として自立している姿を子どもに見せるのも大切なことではないかと思います。
 これから受験とか就職とか,いろんな問題が出てくると思いますが,そのときにはサポートしてやれるところはしてやればいいし,年齢が大きくなってくれば,会いたいときは,多分子どもの方から連絡してくれると思います。いい意味で親離れ,子離れが早めにできてよかったのかなという気はしています。
二人とも子どものことを第一に
― 木村(仮名) ―
 3年ちょっと前に離婚しました。息子は4歳でしたが,別れた妻は,息子に会わせてくれず,半年以上も調停で話し合いました。それが急転回したのは,家裁の調査官が息子に会いに行って,父親に会いたいかと確認したところ,「会いたい」と言ったその一言のお陰です。月に1回,朝10時から夕方5時までということで調停が成立しました。それと幼稚園の夏休み,冬休みには1泊も可で,それ以外にも随時状況に応じてというものでした。決められた養育費は滞りなく支払うことが条件です。
図 父と子 別れた妻自身が母親だけでは力が及ばないところや父親が必要な部分があることを認識していたようで,それを面会のときにやってくれということでした。二人ともすべて子どものことを第一に考えることができました。私立の小学校に入る際にも,母親の方から財政面や子どもの運動能力のことなどで協力依頼があり,できる限りのことはしようということで入学しました。子どもも小学生になると「もっとパパに会えないかなあ」と自分の意思をはっきり言うようになって,月1回のペースが弾力的になり,勉強を見てやる代わりに月2回になるなど,お互いに子どもをどう育てていくかという形で協力態勢を見いだしました。
 ずーっとそれが続いていて,たまたま別れた妻の母親が入院したことで,週末だけは子どもの面倒を見てやれるとか,状況に応じて随分いい形の変化がありました。今年は子どもとアメリカへ10日ぐらいの旅行にも行かせてもらいました。これもルールを守り続けてきたから許してくれたのだと思います。
 息子によると,父親の姓から母親の姓に変わったとき,とても辛かったそうです。名前が変わろうと,どこにいようと,私はお前のパパだよと常に言い聞かせています。息子もある意味では非常に割り切った形で納得し,生活を楽しんでいるようです。でも,もし両親が離婚しないですむのなら,子どもはその方がずっと幸せなのだと思います。


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