家庭問題情報誌「ふぁみりお」第27号(2002.6.25発行)より
平成家族考 27
赤ちゃんと心のキャッチボールを
−乳児期の発達課題「基本的信頼感の獲得」について考える−


マスコミでは頻繁に乳幼児への虐待事件が報じられています。乳幼児虐待の原因については、本誌第10号でも取り上げたように、いろいろな要因が指摘されていますが、一口でいえば、育児をする人にとって育児が少しも楽しいものとなっていないということでしょう。赤ちゃんからすれば、「いやいやながら育てられたり、虐待を受けたりしたくはない。誰でもいいから十分な慈しみをもって育ててほしい」ということになります。それは赤ちゃんの権利でもあります。

エリクソンという精神分析はの学者は、乳児期といわれる満1歳になるまでの赤ちゃんにとっての大事な発達課題は、養育者に対する基本的信頼感を獲得することであるとしています。基本的信頼感といっても、それは意識的に信頼するというレベルのものではなく、乳児が自分の世話をしてくれる人に持つ無意識的な態度とか構えといったレベルのものです。この課題を乗り越えられれば、赤ちゃんは、将来、人を信頼する子どもに成長することができるが、乗り越えられないと人に不信感や敵意を抱くような子どもになってしまう恐れがあるとときます。すぐキレる子、ネコや小鳥などの小動物を虐殺する子、友達をいじめたりホームレスの人を襲撃したりする子などの増加を考えると、これらの子どもたちは人生の最も早い時期において、十分な慈しみを受けて育てられたのであろうかと考えさせられます。

今回は、乳児期といわれる生後1年間の赤ちゃんにとって、本当に大事なものは何なのか、養育する者はどうすればよいかなどについて、生物学者、心理学者、精神医学者などの論説を紹介しながら、考えてみたいと思います。

生まれたばかりの赤ちゃんの世界
人間の赤ちゃんは、すべて早産であり、そのため未熟なまま生まれているのだといいます。たしかに、他の牛や馬などの哺乳類の赤ちゃんは、生まれてすぐに立ち上がり、自分で母親の乳房を探しだして乳を飲み始め、数分後には走り始めるのに対し、人間の赤ちゃんは、立つことはおろか、寝返りもできず、母親が乳房をあてがってくれなければ飢え死にするしかない無力で無防備で頼りない存在です。

生物学者のポルトマンは、「人間は満1歳になって、やっと他の哺乳類の赤ちゃんが生まれたときの発育状態にたどりつく。そうだとすれば、人間の妊娠期間は現在よりもおよそ1年間伸ばされて約21ヶ月になるだろう」と述べています。人間の赤ちゃんは、生後1年余りで立ち上がるようになりますから、それを基準にすると、他の哺乳類と比べ1年余り早産をしていることになります。ポルトマンは、生後1年間を「子宮外の幼少期」と呼び、この1年間は、母親の胎内にいるような気配りをもって育てられなければならないと指摘しています。

羊水の中にいる胎児のときは、必要な栄養は自動的に送られてきていましたが、産声とともに肺呼吸に切り替わっていく新生児となってからは、栄養が自動的に送られてくることがないため、赤ちゃんは数時間後には空腹になって弱々しく訴えるように泣きます。母親が胸に抱き上げると、赤ちゃんは舌を動かして唇で何かを探し求めるような様子を示します。これを見て母親は、乳首を含ませて授乳が始まります。

小児科医で精神分析家のウイニコットは、「一人の赤ちゃん」というのは存在せず、「赤ちゃんと母親」というユニットが存在するのだといいます。生まれたばかりの赤ちゃんは、へその緒が切れていても、自分のほかに母親など他人がいるという感覚はなく、羊水の中にいた胎児のときと同じように、世界は自分ひとりのために動いているという万能感を持っています。お腹が空いたときは泣けばオッパイがやってくるし、オムツが濡れて気持ち悪くなったときは泣けば気持ちよいものと変ります。だれか他人がやってくれているとは思わず、自分が望めば自動的にそうなるものだと思っています。

分娩直後の母親は、ほとんど異常といってよいほど献身的に赤ちゃんの世話をします。夜、育児に疲れて眠っているとき、他の物音には目覚めないのに、赤ちゃんのちょっとした泣き声などには敏感に反応します。自分のことを度外視して赤ちゃんこそが全てという感じです。これは女性特有の母性愛によるものだといわれていましたが、ウイニコットは、これを「母性の原初的没頭」と呼び、分娩した女性に一時的に現れる異常心理のようなものだとし、一般的母性愛神話を否定しました。

実際に、分娩後数週間もすれば、母親はそれほど献身的には世話をしなくなります。それまでは赤ちゃんが泣くと飛んでいくなど、赤ちゃんのニーズに合わせることで汲々としていたのに、しだいに自分の都合で少しぐらいなら泣かせっぱなしにするなど、適当に手抜きをしたり、失敗をしたりするようになります。

これをウイニコットは「ほどよい母親」(グッド・イナフ・マザー)
と呼び、完全な母親よりも、この方が自然であり、むしろよい結果をもたらすのだと考えました。つまり、ほどよい母親の手抜きや小さな失敗などのおかげで、赤ちゃんは自分の思うとおりにはならないことが少しずつ分かってきて、万能感が薄らいでいくことになります。そして自分と母親は同じではなく別の存在なのだという、自分と他者との区別が理解されるようになります。

芸術作品の母子像のほとんどの母親は、子どもを左側に抱いています。これに注目したソークは。分娩後24時間以内に赤ちゃんを抱いた母親のほとんどが、右利き左利きに関係なく、赤ちゃんを左側に抱いたのに、24時間以上赤ちゃんを抱く機会がなかった母親は、特に左側に抱くという傾向は見られなかったという観察結果を報告しています。ソークは、この現象を分娩直後の母親だけに発現し、短時間で消えてしまうインプリンティング(刷り込み)の一種と考えました。つまり、出産直後の母親は、本能として刷り込まれているとおりに赤ちゃんを左側に抱きますが、それは24時間後には消えてしまうという束の間の本能だというのです。羊水の中で聞いたのと同じ母親の心臓の鼓動が赤ちゃんを安心させることが分かってきましたが、そんなことはとうの昔に知っていた神様が、分娩直後の母親だけにはしらせようとしたのかもしれません。

赤ちゃんは、誕生後しばらくすると、眠っているときに微笑するような表情を見せるようになります。まるで「天使の微笑み」のような微笑です。これは赤ちゃんが嬉しさを意図的に表現しているのではなく、自然発生的な微笑なのですが、まるで世話をしてくれる人たちへの赤ちゃんからの「贈り物」のようでもあり、あるいは養育者に可愛がってもらうための「本能的な策略」のようでもあります。1ヶ月を過ぎると、赤ちゃんは、起きているときに意図的な微笑をするようになります。

3ヶ月になると、赤ちゃんは人の顔が近づくと、はっきりした微笑をし、ときには笑い声を上げることさえあります。精神分析学者のスピッツは、この時期の微笑を「3ヶ月無差別微笑」と呼びました。誰にでも微笑みかけるのです。6ヶ月になると母親など世話をしてくれる人が近づいてきたときだけ微笑反応を示すようになります。これは「社会的選択的微笑」と呼ばれるように、母親など特的の人への結びつきや愛着の始まりと考えられています。8ヶ月前後になると、赤ちゃんは、見知らぬ人が近づくと泣いたり顔をそむけたりなど拒否的反応をするようになります。スピッツは、この人見知りを「8ヶ月不安」と呼び、養育者と赤ちゃんの間で愛着関係が成立した目安になると考えました。
 赤ちゃんにとって大事なもの
20世紀の初めのころ、親から引き離されて乳児院や養護施設で集団的に養育されている乳児たちが、身体的な発育が悪く、死亡率も高いことに小児科医たちは注目していました。

児童精神医学者のボウルヴィは、世界保健機構の委託を受けて、第二次世界大戦後増加した親を失った子どもたちの研究をしました。彼は、その報告書で、「乳幼児と母親(あるいは母親の役割を果たす人)との人間関係が親密で、継続的であり、しかも両者が満足と幸福感に満たされているような状態が精神衛生の根本である」と力説しました。そして、このような母性的養育環境が著しく阻害されている状況を母性愛剥奪と呼び、このような体験は乳幼児の心理的発達はもとより、身体的発達も停滞させ、子どもの人格形成に重大な影響を与えることを警告しました。

スピッツもまた、20世紀の半ばごろ、早い段階に母親と引き離されて施設に入れられた乳児の精神発達が遅れることに注目しました。清潔な衣服にくるまれ、ミルクなどの栄養は十分与えられている、つまり衛生的で身体的には問題のない監護を受けているのに、周囲への関心を失い、虚弱で成長が遅れ、早死にする赤ちゃんが多いことに気づきました。それをスピッツは、ホスピタリズム(施設病)と呼びましたが、その原因は、赤ちゃんが何時間もベッドに寝かされたままで、抱っこされたり、あやされたりするマザーリングが不足しているからだと考えました。つまり、赤ちゃんの発達には身体の栄養だけではなく情緒的、身体的、社会的刺激による心の栄養が必要なことを力説しました。

赤ちゃんをあやしたり、抱き上げたり、頬ずりしたりするマザーリングは、ほとんどの母親がごく自然に行っていることです。母親にかぎらず父親や家族、知り合いの大人たちも自然と行っていることです。そして赤ちゃんもまた、大人にマザーリングを誘うような愛らしさを備えています。

しかし、最近はこのマザーリングができない、あるいはしたくない親が増加しているといわれます。自分の赤ちゃんなのに、頬ずりしたいほど可愛いと思わないし、可愛いどころか憎らしくて見るのもいやだといいます。時々そのような気分になることは、どの親にもよくあることで問題ないのですが、問題なのは、一度も可愛いと思ったことがなかったり、常に憎らしいと思いつづけていたりしている親たちです。このような親の増加は、用事への身体的虐待や監護の放置による虐待などが増加していることと無縁ではないと思われます。

エリクソンによると、「基本的信頼感の獲得」という乳児期の発達課題は、良質な母性的養育関係を通して達成されるといいます。良質な母性的養育関係は必ずしも母親である必要はなく、代わりをする母親的な存在があればよいのです。マザーリングに代表される良質な母性的養育関係とは、親が一方的に赤ちゃんに与える関係ではなく、赤ちゃんの表情など情緒的発現から親も報酬を受ける相互的な関係が成立していることが重要なのです。

精神医学者エムディは、母親と赤ちゃんの間で「情緒的応答性」つまり赤ちゃんが求め、母親がそれを満たしてやる、満たされた赤ちゃんの満足そうな様子を見て母親自身もまた満たされるという体験が繰り返される事が重要だといいます。赤ちゃんに「ああ嬉しいの」とか「ああ悲しかったの」とかお互いに表情で話し合う、いわば心のキャッチボールを繰り返すことで、赤ちゃんは不安や緊張を解除し、自分はこの人に守られている、愛されているという感覚を持つことができるようになり、母親もまた自分がどれほどこの子を愛しているかを実感することができるようになります。両者のこのような相互的な関係の中で、赤ちゃんは発達課題である基本的信頼感を獲得していき、母親は母親として慈愛の気持ちと自信を獲得していくことになります。これは母親ではなく父親と赤ちゃんとの関係でもいえることです。母親だから先天的に慈母になりようにできているとか、父親だから育児には不向きだということでは決してないのです。

赤ちゃんが獲得した基本的信頼感は、最初は養育者に対する信頼感ですが、それはやがて家族、ひいては人間全体に対する信頼感へと広がっていくための土台となるものです。赤ちゃんは、その後の発達課題を順順に乗り越えて、この土台の上に人間らしさという建物を築き上げていきます。土台がしっかりしていないと建物がいびつになったり、ときには倒壊したりするように、生後1年間で獲得されるべき基本的信頼感という基礎工事の重要さをエリクソンは指摘したのです。

 育児休業で良質な養育環境を
日本でも甲南大学の松尾恒子教授は、臨床心理学的治療場面で出会う子どもたちの多くが、乳児期に十分な甘えを満たされずにきていると指摘し、乳児期の母性的養育の重要さを強調しています。そして子どもの治療場面で、乳児期に満たされなかった甘えの甘え直しを実践させ、効果を上げていると報告しています。小児科医は分娩直後の母親になるべく早く新生児を抱かせることの重要性に注目し始めています。

保育の分野では、スウェーデンンの家庭内保育室の制度やイギリスのチャイルド・マインダーの制度などが紹介され、わが国でも少人数による家庭的保育制度の重要性が提唱されるようになりました。親の都合や利害だけではなく、子どもの利害と保育の質にもっと敏感でなければならないという反省からでしょう。

本誌第25号では、「仕事も育児もいきいきと」というテーマのもとに、育児支援に関する国の背策を紹介しましたが、本号では出生後1年間の養育環境がいかに重要であるかという論説を紹介しました。共働きの親も、どちらかが育児休業制度を利用して、良質な養育環境をつくることも考えてほしいと思います。少なくとも乳児期と呼ばれる1年間は、親の都合や利害よりも、慈しんで育ててほしいという赤ちゃんの願い(権利)を優先させていただきたいと願わずにはいられません。

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