家庭問題情報誌 「ふぁみりお」第27号(2002.6.25発行)
少年犯罪者の厳罰化がもたらした波紋
−改善が急務となった英国(イングランドとウェールズ)の少年審判制度−


1970年代に入って、世界的に少年犯罪の増加、低年齢化、凶悪化が叫ばれるようになりました。そしてその対策として、真っ先に推し進められたのが「厳罰主義」でした。たとえ年少者であっても、罪を犯した者には、厳しい処分をして、それ相応の懲らしめを与えるべきだと言う主張が当然と考えられるようになりました。昨年施行されたわが国の少年法の改正にもその傾向がうかがわれました。

その結果、国家が少年犯罪者にはなるべく保護を加えて更生を図り、社会に復帰させるというそれまでの方針は大きく変わり、少年審判の刑事裁判化、少年犯罪者の処遇の刑罰化が進められました。

ところが、少年審判制度のこのような傾向に対して、ヨーロッパで批判的な動きが見られるようになりました。最初にヨーロッパ人権裁判所によって徹底的に批判されたのは、世界の先進諸国の少年法と比較して、少年への保護的、福祉的な配慮が希薄で懲罰的色彩の濃い英国(イングランドとウェールズ)の少年法でした。

ある殺人事件の顛末を通して、英国における少年審判のやり方と、それに対するヨーロッパ人権裁判所の批判とを紹介して、少年犯罪に対する厳罰化の問題を考えてみたいと思います。

英国の少年審判手続
英国にも日本と同様に少年裁判所はありますが、それはわが国の家庭裁判所のように独立して設置された裁判所ではなく、治安裁判所と呼ばれる成人の刑事裁判所の変形裁判所なのです。

したがって、手続はすべて一般の刑事事件を扱う成人の裁判所とほとんど変わりません。犯罪少年は少年と呼ばれますが、「被告人」の立場であり、「原告」は日本の検事の役割を持つ警察が当たります。

少年には、少年裁判所という簡易な裁判ではなく、正式な刑事裁判を受ける権利があり、少年裁判所では裁判官が最初にこのことを告知します。

正式な裁判とは、専門の職業裁判官、陪審員、傍聴人のいる公開の法廷で行われる裁判のことです。ほとんどの少年犯罪者は、簡易な裁判を選び、少年裁判所の審理が始まります。

まず、裁判官が少年に対し、警察官が申し立てた犯罪事実について有罪か無罪かを尋ね、有罪を認めれば直ちに処分が言い渡されて裁判は終わってしまいます。無罪を申し立てれば、警察官は証拠を提出したり、証人を呼んだりして有罪を立証しようとし、少年も無罪を裁判官に納得させようとして、双方で攻撃・防衛が展開されることになります。その結果、裁判官が有罪か無罪かを判断し、有罪の場合は処分が言い渡されて裁判が終わります。

このやり方は一般の刑事裁判と変わりませんが、少年裁判所は、次のような点で一般の刑事裁判所と違いがあります。

第1に、裁判官は法律の専門家である職業裁判官ではなく、民間から選ばれた男女3人の少年事件の処理の経験のある素人裁判官であることです。したがって、裁判官は黒い法服を着たり、この国では裁判官の象徴になっている「かつら」を被ったりすることもありません。

第2に、審理自体が非公開であり、陪審制という正式な裁判ではありませんから、傍聴人も陪審員もいません。ただ、いつでも報道機関の傍聴が許されているのが特異な点です。これは、少年事件であっても、犯人が特定できる内容でなければ、報道する事が可能であるというこの国の慣習によるものです。また、従来、少年犯罪の実名報道は禁止されていましたが、1999年の法改正により、重大事件に関しては、「公共の利益にかなう場合」という制限付きではありますが、実名報道が大幅に緩和されています。

第3に、少年裁判所は、殺人事件を取り扱うことができません。計画的な殺人(謀殺)であろうと、激情に駆られての殺人(故殺)であろうと、殺人事件は少年裁判所では審理できないので、すべて成人と同じ刑事裁判所で裁判されることになります。

第4に、少年の年齢制限があります。この国では、児童と呼ばれる10歳から13歳の未成年者と少年と呼ばれる14歳から17歳の未成年者の区別があり、この範囲にある未成年者、つまり10歳から17歳までの者を少年裁判所は扱うことができます。

わが国のように14歳から20歳未満の未成年者を対象としているのとは大きな差があります。特に、自分の行為の是非善悪を判断できる年齢を10歳としている点は、同じヨーロッパでもフランスの13歳、ドイツの14歳、わが国の14歳と比較しても極端に低年齢であることが注目されます。
ある殺人事件の顛末
1993年2月12日の土曜日に、イングランド中部の有名な港町リバプール市郊外でこの事件は起きました。

ショッピングセンターから2歳の幼児が誘拐され、翌日、パンツを脱がされ、殴り殺された死体がペンキまみれになって鉄道線路上に放置されていたため、無残にも通過した貨物列車に轢かれてバラバラになって発見されたのです。

犯人は、ジョンとボブという2人の10歳の児童でした。これが殺された幼児ジェイムス・バルガーの名前をとって「バルが−事件」と呼ばれる事件の発端でした。

事件のショックは英国全土に及んだことはもちろん、ヨーロッパ諸国、アメリカ、日本など全世界に及びました。

犯人は10歳ですから、通常であれば少年裁判所で審理されるはずですが、前述したように、少年裁判所では殺人事件を扱えないので、刑事法院という裁判所で、通常の重大な刑事事件を審理する手続で審理されました。

刑事法院での裁判は、イングランドの伝統的な刑事裁判に見られるように、法服に威厳を正し、かつらを被った専門職業裁判官が裁判し、陪審員や多数の傍聴人が在席する正式な公開裁判なのです。

バルガー事件は、場所も大都会であるリバプール市内にある刑事法院を避け、近郊にあるプレストンの刑事法院で行われましたが、それはこの事件に対する市民の関心が異常であり、多数の傍聴人が殺到し、場合によっては激昂した民衆によって2人の児童がリンチされる危険があったからですが、それほど一般市民の反応は強烈でした。

審理は約3週間に及び、陪審員の有罪の表決を受けた裁判長は、1993年11月、児童両人に「女王陛下が望む限りの不定期間の拘束」の判決を下しました。

この判決の最短収容期間は8年なのですが、終身刑こそ望ましいという厳罰を強調する世論に押されて、1994年7月、内務大臣が15年に変更してしまいました。しかし、この15年の裁定は貴族院の司法審査で1999年に却下されるなど、収容期間は二転三転しています。
ヨーロッパ人権裁判所の裁定
1999年12月、フランスのストラスブールにあるヨーロッパ人権裁判所は、児童両人の弁護士およびイングランド政府の双方からの申立てを受けて、バルガー事件の裁判を審理しました。

この裁判所は、ヨーロッパ人権規約に基づいて設置され、その規約の解釈と適用に関する判断を行う裁判所とされ、ヨーロッパ人権規約に基づいて設置され、その規約の解釈と適用に関する判断を行う裁判所とされ、ヨーロッパ連合諸国から選出された19人の裁判官によって裁定を行うものです。関係する諸国は、当然、この裁定に従わなくてはならないことになっています。

バルガー事件についてヨーロッパ人権裁判所が下した裁定は、裁判そのものが「公正ではない」というものでした。

まず、この事件では、犯行時10歳の児童を成人の刑事裁判所である刑事法院で審理すること自体が公正ではないという判断が基本になっています。

すなわち、刑事法院では、当然、手続きと形式性が重視されなければなりませんが、この成人の刑事裁判の法廷に引き出された2人の児童に対して、何がどのように審理されているのかを理解させることは困難というより不可能であり、むしろ恐怖心を抱かせ、精神的に不安定にさせ、威嚇を加える効果しかないではないかというのです。

法服、かつら着用の裁判官、多数の陪審員、傍聴人、マスコミ関係者に取り囲まれての審理こそ「公正な裁判」ではないと判断しているのです。

たしかに、この裁判では、児童に法廷内部の仕組みや使われる用語の説明を加えたり、審理の時間を短縮したりして、両人を疲れさせないような工夫はしています。また、背が低くて裁判の進行がよく見えない児童のために、被告席を改造して高くしてはいますが、この改造は逆に報道陣や多数の傍聴人からいつも注視され、威圧感を増幅させる結果となっていることも指摘されています。

このように威圧感や恐怖感にさらされた児童は、当然、審理に集中できなかったし、有能な弁護士をいつも会話のできる至近距離に座らせていたとしても、未成熟な児童が、法廷の中や外部で成人と同様な防御活動が可能だったとは到底考えられないと判断しています。

つまり、2人の児童は「公正な裁判」を受けていないと裁定したのです。

いかに重大な事件であろうとも、このような児童、少年を成人と同様の手続きで審理する制度そのものが不公正であることになり、威嚇感や圧迫感を減らすためには、非公開で審理を行い、手続きや形式にとらわれず、出席者も限定してこそ公正さが実現するのだと強調しているのです。

さらに、収容期間を裁判官ではなく、内務大臣等の行政組織が決定することは許されず、刑期の決定は裁判官だけに与えられた権限であるから、この事件のように裁判官意外の者が刑期の延長を決めるこの国の制度そのものが公正でないと断じています。

極端にいってしまうと、このバルガー事件の裁判に関する限り、現在の制度を維持してきた英国政府の完全な敗北といえましょう。
裁定後の英国の動き
ヨーロッパ人権裁判所の裁定がもたらした一つの効果として、英国では次のような動きが報じられています。

犯行時10歳であった児童2人はすでに18歳に達しており、当時の判決の最短刑期8年の収容生活を終える時期となりましたが、高等法院はこの裁定を踏まえて最低の収容期間は15年ではなく、8年とすべきだとの判断を示し、昨年6月、2人の児童はまったく別人として、終身保護観察付き、被害者家族との接触・犯行地への立入り禁止の条件付きで仮釈放の措置がとられました。

1993年の刑事法院での裁判の際に、2人の実名と写真が公表されていることから、仮釈放後に市民による報復を避けるため、現在、2人の所在報道や写真掲載は厳しく禁止されていますが、マスコミがこれを守ってくれるかどうかは大いに疑問のあるところです。

一方、この裁定によって少年審判制度の抜本的改革を義務付けられた英国では、自分の国の事件を自分の国の法律で裁判するのは当然のことであり、これを外部からこうしなければならないというのは越権行為でり、いらぬおせっかいであるという考えが強く、早急な改正は困難なように思われます。

また、犯罪者の刑期を裁判官ではなく、行政機関である内務大臣が自由に延長できるというこの国独特の方式が公正さを欠くというヨーロッパ人権裁判所の裁定は、三権分立思想があいまいで、司法の独立という観念が乏しいこの国では、なかなか理解してもらえないのかもしれません。

逆にこのような権限は、選挙によって国民の代表者となった者こそ、社会治安の責任者として持つ当然の権限であり、司法機関だけしかなしえない権限だとするこの裁定を、素直に受け入れようとする空気もありません。

現に改正の責任者である内務大臣は、独立した少年裁判所制度を「秘密の花園」と称して毛嫌いしており、現在も改正を考慮中であると答えるのみで、具体的な動きを見せていません。

いずれにしろ、この国は、その司法制度、特に当面問題になっている応報的、懲罰的色彩の濃い従来の少年審判制度を大幅に改正し、保護的、福祉的、教育的な制度に衣替えすることが義務付けられているのです。「サイは投げられた」のです。どのような変化を遂げるのか、注目していきたいと思います。

また、この裁定は、児童や少年の犯罪を成人の刑事事件と同様に処理することを認めているわが国を含めた世界各国にも、英国に向けられた批判と同様の批判が加えられかねない可能性を示しています。

世界の少年審判制度が、どのような影響を受けるのか、その動向にも注目していくことにしましょう。


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