「今どきの子どもたちは…」と大人が言うときには、「自分たちが子どものころは、もっと素直で思いやりのある良い子だった。だから立派な大人になれたんだ」という前提に立っているようです。「子どもは親の背中を見て育つ」と言いますから、立派な大人ばかりだと心配はいらないのでしょうが、中には親の背中や大人の背中を見て育ったばっかりに道を踏み外してしまう子どもたちもいます。「今どきの大人たちは…」と言う子どもたちの声が聞こえるような気がします。 |
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1 父よ | |||||
大人たちはいつの時代も「今どきの子どもたちは…」と言い続けてきた。不気味な事件が起こったり、変なものが流行したりすると、子どもたちが怪物になったかのように騒ぐ。そして、自分の子どももいつ変身するかと心配する。 確かに、最近は変身する子どもたちが増えている。いかにも悪いことをしそうな子が問題を起こすのではなく、真面目でおとなしそうな子が変身して悪いことをする。 自我と呼ばれる自分らしさは、小さいころから親やきょうだいに反抗し悪戦苦闘しながら自分で築きあげるものなのだが、親にやんわりと押し付けられた素直で良い子という借り物の自分らしさで間に合わせている子どもが多くなった。 本来なら3、4歳ごろの第一次反抗期に始まる子どもの反抗を、親が言いなりになったり、先回りして欲求を満たしてやったりして、不発に終わらせ、いつのまにか素直で良い子という仮面をかぶらせてしまう。仮面でも小学校ぐらいまではうまく立ち回れるが、中学校に入ると対応できない危機場面が多くなり、挫折しやすくなる。家庭内暴力はその一例である。挫折して初めて借り物の自分らしさに耐えられなくなり、仮面を脱ぎ捨てるが、そこには鍛えられていない未熟なままの自分しかないことに愕然とし、どうしてこんな人間に育てたんだ、自分がないじゃないかと親を責め立てる。 子どもたちが変身する原因は、自分で築き上げたという実感できる自我を持っていないところにあるが、その責任の大半は父親にある。戦後の父親は、権威も自信もなくしてしまった。昔は子どもの前に立ちはだかって、善悪のけじめ、社会のルール、我慢することなどを教えるのは父親の役割であった。でも今はこの役まで母親に押し付けて、自分は影の薄いウスラパパになってしまっている。孤軍奮闘させられる母親が、ママゴンに変身するのも当然かもしれない。 今どきの親たちは、「一行詩 父よ母よ」(学陽書房)の中で、今どきの子どもたちに、 「父よ!何か言ってくれ。母よ!何も言うな」「父よ!威厳を取り戻せ。母よ、父に威厳を分けてやれ」と言われるまでになっている。 |
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2 思いやり | |||||
ほとんどの親は、自分の子どもが思いやりのある子に育ってほしいと願っているとのことである。 |
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3 素直 | |||||
世の親たちは、自分の子どもが素直であってほしいと願っている。どうして素直になれないのかと怒る。 |
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4 自尊心 | |||||
ことあるごとに青少年の健全育成と言う。健全育成とはどんなことかと聞いてもはっきりしない。目標がはっきりしないと、そこに到達するための方法は考えようもない。健全育成は分からなくても、今の親たちが、自分の子どもは思いやりのある子に育ってほしいと願っていることは、世論調査などで分かっている。健全育成を思いやりのある青少年にすることだと考えると、方法はいくらでも考えられる。早い話が思いやる体験をさせればよい。そこから非行少年による特別養護老人ホームでの社会奉仕活動が生まれた。少年友の会の協力もあって東京家裁から順調に船出して、全国の家裁や少年院などへも広がった。 参加した非行少年たちの感想文には、お年寄りにこころから感謝され、自分でも人の役に立てた喜びやホームで黙々と働く人の姿に初めて本当の大人を見た感動などが綴られていた。 たった3日間の思いやりの体験が、低下していた少年たちの自尊心を高め、目指すべき大人のあり方を教えてくれたとすれば、これこそまさしく健全育成と言えるのではないかと実感した。価値の多様化とはいいながら、子どもの世界では、長いあいだ価値の画一化が強制されてきた。シンボリックに言えば、東大への道と甲子園への道を進むものたちだけが親や先生の誇りとされ、自尊心を持つことができたが、その他のものには誇りにされる道はなく、夜の道なき道を走り回っては社会のルールを無視する暴走族などが生まれた。 しかし、最近の小学生に一番人気のある職業は、大工さんであるらしい。また、ある週刊誌の特集によると、今の若者たちは、「ありがとう」と言われる仕事につきたいと考えており、福祉や環境系の仕事に人気があるとのことである。人の役に立ち感謝されたいということは、自分の値打ちを実感し、自尊心を高めたいと考えるからであろう。 アメリカでは、1千万人以上の人がボランティア団体に所属して活動し、ドイツでは、ほとんどの人がひとつかふたつのボランティア活動に日常的に従事しているという。これらの国の子どもたちは、日常的に本当の大人の姿に接していることになると言える。その伝でいくと、わが国の子どもたちの不幸は、あまりにもニセモノの大人たちが多いということかもしれない。 |
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注 この随想は、FPICの会員が「東京少年友の会通信」の同じ表題のコラムに連載したものから、同会の了承を得て、転載したものです。 | |||||
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