1 アメリカの家族法100年と日本の家族法50年

20世紀の家族法の基調は、人権との関わりであったと思います。 DV法とか児童虐待防止法などに見られるように、高齢者、障害者、女性、子どもといった社会的弱者の権利を守るというのが家族法の流れの基調になっています。 そして、その具体的な法制度の基礎としては自己決定権の尊重があり、権利の保護に裁判所の関与というのが大きな流れだと思います。
 アメリカの家族法100年と日本の家族法50年の関わりを見てみましょう。 アメリカのカッツ教授の論文によれば、アメリカも日本と同じで、家族法が法律家の関心を呼ぶようになったのは、50年ぐらい前からであり、それまでは離婚などを扱う弁護士も裁判官もあまり尊敬されていなかったといいます。 有責主義の強かったアメリカの離婚では、離婚原因を作るために証拠を作るとか、裁判に訴えられるように移住離婚をするとか、ごまかしの手続が多かったからのようです。
 それが、50年ぐらい前、第二次大戦後にいろいろと家庭の問題が起きてきて、アメリカでは家族法の問題がシステマティックに考えられるようになりました。 さらに全米法曹界ABAが家族法季刊誌「ファミリー・ロー・クォータリー」*1を創刊したことから、学者や法律家との間で議論が活発になり、家族法が体系化されていきました。 そこには、二つの大きな流れがありました。一つは戦後の民主化の社会で急増してきた離婚についての破綻主義化です。 破綻主義化すると離婚原因はあまり問題にならず、子どもの問題や離婚に伴う経済問題などが紛争の対象になってきます。 法律家も不動産や株の評価などの経済問題などにも知識を持たざるをえなくなりました。 もう一つの流れは、それまでこの分野にはあまり有力な学者がいなかったのに、大戦前後からヨーロッパの学殖豊かな学者がアメリカで講義するようになり、体系的な書物を書くようになったことです。 例えば、ゴールドシュタインは共著で「子供の最善の福祉を超えて」*2という本を書きましたが、日本でも精神医学者でもある彼に期待して、調査官研修所が招聘して講演をしてもらいました。 ところがそれを聴いて家裁関係者はびっくりしました。 「家族の問題に国家が介入していけない。国家権力を背景にして家族関係の調整をするカウンセリングなどもってのほかである」というのが彼の論調だったからです。
 いずれにしても、アメリカにおける家族法の発展が、戦後日本の家族法にも影響しました。 養子法の改正、特別養子制度などもその例でしょうが、その中でも一番大きな出来事は、最高裁が有責配偶者の長期別居に離婚の余地があると判断したことでしょう。 日本でも離婚が増加するにつれていろんな問題が出てきて、夫婦別姓を含む婚姻制度の見直しもこの流れの中から出てきたものですが、平成8年に法案はできているのに、未だに国会で審議されるに至っていない有様です。


2 欧州人権裁判所の裁判例に見る家族法と人権

 『ふぁみりお』第29号に昨年8月にコペンハーゲンとオスロで開催された国際家族法学会世界会議の報告が掲載されていますが、この会議のテーマは「家族生活と人権」でした。 初日の基調講演でスウェーデンの法務大臣が、トルコからスウェーデンに移住したクルド人家族の娘が父の許しを受けずにスウェーデン人男性と結婚しようとしたため、 父はクルド社会の規範と家族の名誉を守るために娘を射殺した事件を取り上げ、自分の意思で生き方を決める娘の権利とクルド社会の伝統に従う父の権利との衝突に、 国家はどのように介入するべきかという問題提起をしました。
 この会議の中で私の興味を引いたのは、欧州人権裁判所の判例というのが、ヨーロッパの家族法に大きな影響を与えているということでした。 このことを早稲田大学の三木妙子先生の「欧州人権裁判所に現れた家族」という論文を参考に紹介ししてみましょう。 1950年に欧州連合が「人権及び基本的自由の保護のための条約」を決め、この条約を実効あらしめるために欧州人権裁判所が創設されました。 個人または国が人権条約違反について欧州人権裁判所に訴えることができるという制度です。 例えば、イギリス人がイギリスの法律によって非常に不当な扱いを受けているということになると、その人はイギリスという国を相手に人権裁判所に訴えることができ、 人権裁判所がイギリスの法律が間違いだということになると加盟国であるイギリスは判決に従って、自国の制度を変えていかなければならないということになります。 判決自体に強制力はないにしても、加盟国の中でそのような制度を持っているのは国の体面上よくないということで、制度を変えたり、新たに立法したりしていく、 そういう効果があって欧州に一つの共通法を作っていこうという基盤ができているように思われます。
 欧州人権裁判所の判決は、1970年代は年間500〜600件だったのが、2001年には1400件近い事件が、個人が国を相手に申し立てているとのことで、そこで出される判決には注目に値するものも多いのです。 日本にも関係のありそうなものを紹介してみましょう。

(1)婚姻して家族を形成する権利

@ 受刑者の婚姻する権利
 これはイギリスのヘイマー事件と呼ばれるものですが、刑務所に入っているヘイマーが入所前に同棲していた女性との婚姻の許可を求めたところ、法務大臣がこれを拒否したために、 イギリスを相手に欧州人権裁判所に訴えたものです。人権裁判所は、これは人権規約12条にある「婚姻して家族を形成する権利」に違反する、ヘイマーは刑期が終わるまでにまだ15ヶ月あり、 15ヶ月間結婚を待たせるのは権利の侵害に当たるということで、人権裁判所がヘイマーの権利を救済しました。 結婚するということは法律的な環境を作るだけで、なにも一緒に住んで、家族を形成する権利を認めろと言っているわけではないので、 その権利というのは現在の受刑者の社会復帰を促進しようという政策に照らすと、認めるべきではないかということで認められたのです。 イギリスはその後の1983年に婚姻法を改正したということです。

A 再婚する権利
 再婚禁止期間についての判決もあります。スイス民法では、有責配偶者からの離婚請求を裁判所が認める場合には再婚禁止期間を1年から3年の間で定めることができるという条文があり、 Fさんは3年間の再婚禁止期間を決められました。これに対してFさんは、スイスを相手に人権裁判所に訴えたのです。人権裁判所では、再婚禁止期間を離婚を認める際にスイスの裁判所が定めるということの是非が争われました。 判決ではこれも人権規約12条違反であるとして、Fさんの訴えを認めたのです。 日本でも女性のみに6ヶ月間の再婚禁止期間を定めていますが、それが差別撤廃条約に反するという議論がなされましたけれども、スイスでは結局この法律を改正したということです。

(2)私的生活を尊重される権利

@ 性転換者の出生登録上の性別記載
 性転換に伴って、出生証明書の性別記載をやめるとか改めるという問題については、各国とも極めて消極的でしたので、こういった問題が欧州人権裁判所に請求され、認められるまでにはかなりの時間がかかりました。
 出生証明書には必ずお医者さんが性器を見て性別が記載されます。 ところが生まれた時には男性であっても、その後にだんだん不適応を起こし、自分は女性なんだという意識になってきて、生活もそういう風になっていく。 ところが出生証明書には男性と書かれており、パスポートにも男と記載されているので、これを変えてもらわないと仕事にも就けないというようなことになります。 大島俊之先生の「性同一性障害と法」という本では各国の法制度に触れ、事例が紹介されています。 その中からいくつかの事例を紹介しましょう。イギリス人の女性が男性に性転換手術をして、名前もマークと改めて仕事に就こうとしたんですが、 出生証明書の性別記載が障害となっているとして性別記載の訂正と婚姻の承認を求めたのですが認められなかったので、 これは人権規約12条違反であるとして欧州人権裁判所に提訴したのですが、ここでも認められませんでした。 男性から女性になってファッションモデルとして成功しているイギリス人のコッシーさんは、出生証明書の性別記載の訂正を欧州人権裁判所に請求しましたガ、 1990年人権裁判所はこの請求を認めなかったのです。同じく性別記載の訂正を求めた2002年のイギリスのグズリン事件では請求を認めています。婚姻の自由にとって、 性が出生登録上の性であるとする国内法を正当化する理由は見出せないという理由で、国が負けたのです。このような事件を背景にして、欧州連合の基本憲章9条は、 「婚姻し家族を形成する権利は権利の行使を規制する国内法に従って保障される」という規定となり、男女という文言が削除されました。
 人権擁護団体ヴィデルテの調べによると、欧州連合の加盟国のうちの54%は性転換者の婚姻を認めているということです。 そこに人権というものの考え方が非常に色濃くうかがわれるわけです。もちろん性転換者と認めるには、ただ単に医者による手術をしたからいいというわけにはいかず、 いろいろな条件が細かく決められていて、それらの基準に適合した人についてのみ認められるということです。*3

A 非嫡出子の相続権
 欧州人権裁判所の判決でもう一つ特筆すべきことは、非嫡出子と嫡出子との平等を認めた判決です。これはベルギーに対する1979年の判決です。ベルギーの民法では、 母も認知が必要だということですが、認知をしても母の家族からの相続は他に法定相続人がいない場合しか相続できず、しかも相続分は嫡出子の4分の3であり、 母に相続権のある家族がいないときだけ遺贈ができるというように、非嫡出子に対する差別のある法律ですが、これに対する訴えについて人権裁判所は、 1978年、1979年と続けてこれは人権規約違反であるとしました。このような非嫡出子と嫡出子の平等という考えは、各国の法制に影響し、日本にも影響を及ぼすのではないかと思います。

B 面会交流権
 オランダ人と結婚したモロッコ国籍の男性が離婚したら法務省から国外退去を命じられたのですが、国外退去すると子どもと会うことができないということで、 子との面会交流を困難にする国外退去命令は、人権規約8条の「家族の生活を尊重する権利」に違反するということで、オランダを相手に訴え、人権裁判所は人権規約8条違反を認めたのです。 その他、伯父の甥との面会交流を認めた判決なども日本の問題にも参考になると思われます。


3 家族法と人権

 欧州人権裁判所の判例の中で最も影響力のあるのは、性転換者への判例だろうと思われます。このような問題は日本の裁判所にもいくつか戸籍訂正ということで出されているのですが、 認めない例が多く、認めた例は正確な意味での性同一性障害ではなく器質的な異常のある人について認めたものです。 つまり性同一性障害と定義されるような人の事件について認めた裁判例はないということです。最近の例では、東京高裁の平成10年2月9日の決定がありますが、 認めない理由を一言でいうと日本ではまだ法律が改正されていないからだめだというものです。日本と同じような戸籍制度を持つ韓国の性転換者の戸籍訂正事件でも一貫して否定してきたのですが、 最近になってこれを認めた裁判例があります。それは憲法上の権利、幸福追求権というようなことを根拠にして戸籍訂正を認めたのです。司法の機能というのはこういうところにあると縷々と述べており、 読んでみると非常に感動的でした。家族法と人権という問題では、このあたりがこれから一番考えていく必要のある大きな問題かなと考えます。


*1 “Family Law Quarterly”
*2 “Beyond The Best Interests of The Child”
*3 わが国も、議員立法により、一定の要件のある性同一性障害者につき、戸籍訂正を認める法改正の動きがある。



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