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1 天国の5人のユダヤ人

 天国で5人のユダヤ人が、人間にとって一番必要で大事なものは何かについて、議論したという小ばなしがあります。 作者は知りませんが、よくできた小ばなしで、次のようなものです。
 第1のユダヤ人が立ち上がりました。筋肉隆々とした体を白い布で覆い、眼をかっと見開き、頭を指差して「人間にとって一番大事なものは、 理性である」と怒鳴りたて、欲望や感情にとらわれる人間の愚かさを非難しました。第1のユダヤ人は、あの十戒を書きとめたモーゼです。
 次に、第2のユダヤ人が立ち上がりました。白いローブを身にまとい、胸に手を当てて「人間にとって一番大事なものは理性ではない。愛である」と述べ、 隣人愛について優しく説き始めました。第2のユダヤ人は、イエス・キリストです。
 理性だ、愛だと2人が主張し合っていると、第3のユダヤ人が立ち上がりました。第3のユダヤ人は、陰鬱な顔をして、 胃袋の上に手を当てて「人間にとって最も大事なものは、理性とか愛とかいうような抽象的なものではない。 お腹の足しになる物質こそが一番なのだ」と反論をし始めました。第3のユダヤ人は、資本論を書いたカール・マルクスです。
 理性だ、愛だ、物質だと3人が論じ合っていると、パイプをくわえた第4のユダヤ人が立ち上がりました。「いや、いや、そうではない。 人間にとって一番大事なものは、セックスである」と説き始めました。第4のユダヤ人は、小児性欲論を書き、 性的なものが無意識の中に抑圧されて心の病になるという精神分析学の祖となったジグムント・フロイトです。
 4人のユダヤ人が、侃々諤々と議論しているところへ、長い舌をペロリと出した第5のユダヤ人が立ち上がって、 「まあ、まあ、皆さん、すべては相対的ですぞ」と、相対性理論のアインシュタインが割って入って鎮めたというのが、この小ばなしのオチです。

2 マズローの欲求の5段階ヒエラルキー説

 ユダヤ人だけではなく、古今東西いろいろな人が、 人間にとって一番必要で大事なものは何かを考えてきたと思われます。信仰こそが大事だと考えて清貧に甘んじている人がいるかと思えば、 人間万事金の世の中だと、義理や人情を欠いても金儲けに専念している人もいるでしょう。万人にとって何が一番必要で大事かの問題を解決するのは至難の業です。
アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、人間 の欲求を5つの階層に分けて説明していますが、この問題を考えるのに参考になると思います。 マズローの考える欲求のヒエラルキー説というのは、次のようなものです。



 人間の欲求の一番基底にあるのは、「生理的欲求」だとしています。これは食べたり、飲んだり、排泄したりするなどの欲求です。
一番基底にある欲求は、どの動物にもあるものと同じ欲求です。  食欲などの生理的欲求が満たされると、次には「安全の欲求」が起こると言います。これは身の安全を図り、安心して休息できるような場所などを求める欲求です。 これもどの動物にもある欲求だと思われます。 安全の欲求が満たされると、人間は「愛と所属の欲求」を求めるようになると言います。この欲求は、どの動物にでもあるというものではなく、 独りでは生きていけない人間に特に強く生じる欲求のようです。集団の一員に加わり、愛されたいという欲求です。多くの場合、 最初は家族の一員として親やきょうだいに愛され、大きくなると学校や職場で先生や上司、友達や同僚たちに可愛がられることで満たされます。
 愛と所属の欲求が満たされると、次に「承認と自己尊重の欲求」が生じると言います。人間は、誰かにただ愛されているとか、 集団の一員に過ぎないというだけでは満足できなくなり、やがて自分をひとかどの人間として認めてほしいとか、 自分も価値ある人間としての自負を持ちたいという欲求が出てくると言います。つまり、自尊心を持って生きたいということです。
 これまでに述べた4つの欲求が満たされると、最後に「自己実現の欲求」が起こると言います。自己実現の欲求とは、あれが欲しい、 こうして欲しいというような利己的な動機付けからではなく、有能で自己決定的でありたいという内発的な動機付けから、 人類愛などもっと高次の目標のために役立ちたいという欲求です。シュバイツアー博士やマザー・テレサなどが自己実現の欲求を満たした人たちだと言われます。

3 コミュニケーション回避と所属意識・自尊心の低下

非行を繰り返したり、重大事件を犯したりした子どもたちに共通するのは、家庭・学校への所属意識の希薄さと自尊感情の低さです。 マズロー流に言えば、「愛と所属の欲求」と「承認と自己尊重の欲求」が満たされていないということです。この2つの欲求は、社会的欲求と呼ばれ、 他の人とのコミュニケーションを通じて満たされるものです。したがって、これらの欲求が満たされていないということは、コミュニケーション能力が低下しているということです。
 小さいころから盗みなどの問題行動を繰り返している子どもの場合は、発覚する度に家族や警察官、学校の先生などに叱責され、 「我が家の面汚し」だとか、「我が校の恥さらしだ」と罵倒されると、自尊感情は低下し、家族やクラスに所属することさえも拒絶されていると感じざるを得ないでしょう。 そうなると、改心して立ち直ろうとするまえに、どうせオレはという気持ちが先に立ち、人とのコミュニケーションを避け、糸の切れた凧みたいに、 問題行動をエスカレートさせることになります。
 また、子どもに問題行動が表面化していなくても、両親の仲が悪かったり、親が過干渉であったりして家族関係に強い緊張がある場合は、 子どもは、自由に喜怒哀楽の感情を表すことができず、甘えたり、怒ったり、ホンネで自分をさらけ出すことができません。そうなると、子どもは、表情に生気がなくなり、 極端な場合は能面のように無表情になると言われます。このような子どもたちは、現実の世界では自分の欲求が満たされないとなると、 ビデオやパソコンなど仮想現実(バーチャルリアリティ)の中でそれらを満たそうとします。現実の世界ではみじめな自分だったのに、 仮想現実の中では万能感あふれる自分になれます。しかし、それが高じると、仮想と現実の境界があいまいになり、思いもよらない大胆な事件を引き起こしかねません。 生身の人間とのコミュニケーションを避けると、現実の世界への所属意識すら希薄化させてしまうということでしょう。

4 今どきの子どもたちにとって必要なものは何か

 子どもたちの社会現象として近年話題となったムカつく、キレる、学級崩壊、いじめ、不登校、引きこもり、ニートなどの多くは、 対面してのコミュニケーションが上手く取れない、苦手だというところが共通しているように思われます。
 コミュニケーション能力というのは、人の話を聴くことができ、理解することができ、自分も伝えることができるという能力ですが、この能力には、 少しばかりの我慢強さが必要です。嫌なことがあっても、すぐムカついたり、キレたり、逃避したりしないで、辛抱して付き合うことが必要です。 また、相手が間違っていたら、嫌われるかもしれないのを我慢して、自分の意見を伝える勇気が必要です。小学生などの遊び方を見ても、昔のように、 お互いにコミュニケーションを取り合いながら、ひとつのゲームを競い合うようなものではなく、集まってはいるものの、各自が自分のゲーム機器に熱中し、 お互い話もしないという遊び方に変わってきています。競い合って自分が傷つくことも我慢できないし、相手を傷つけて嫌われることも我慢できないからだと言われます。
 子どものありのままを受け入れることの大切さが強調されると、それは子どものわがままを通してやることだと勘違いして、子どもが嫌がる躾などを放棄して、 我慢することを知らない、対人関係が苦手で、些細なことで傷つきやすい子どもに育てている親がいます。
 少々傷ついても耐えることのできる子どもに育てるには、小さい時から子どもに我慢する体験をさせ、 我慢したときには「よく我慢したね。えらかったね」と親が心のこもったほめ言葉をかけて、我慢に報いてやることで子どもは我慢することを身につけていきます。
 脳科学の研究によると、人間らしさやコミュニケーション能力は、脳の前頭葉が司っており、ケータイで話すよりも対面して話す方が前頭葉を刺激し、 知らない人と話すよりも知っている人、特に母親と話す方がより強く刺激することが分かっているとのことです。したがって、特に子どもが小さいころは、 家族で会話を楽しむことが、その子のコミュニケーション能力を高め、人間らしく育てることになります。逆に、子どもが家族を始め、 生身の人間とのコミュニケーションの時間が短くなり、バーチャル機器に接する時間が長くなると、人間らしさが培われにくくなるということです。  これらの知見を生かして、幼稚園で日課として「じゃれつき遊び」の時間を持たせたところ、コミュニケーション能力が高まり、キレる子どもが少なくなったということです。 子どもたちを人間らしく育てるためには、昔の子どもたちのように、じゃれ合ったりおしゃべりしたりする体験を持たせる必要があるということでしょう。

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