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著者の管賀江留郎(かんが えるろう)氏は、ウェブサイト<少年犯罪データベース>の主宰者です。 国立国会図書館に立てこもって、全国の古今の新聞・雑誌から犯罪記事を渉猟し、蓄積した犯罪データは膨大なもので、 インターネットで「少年犯罪」と検索すると真っ先にこのサイトが出て来ます。 本誌も第33号「触法少年の凶悪事件について考える」で統計と事例を活用させていただきました。 今回、この「戦前の少年犯罪」が出版され、初めて戦前の少年犯罪の実態を垣間見ることができました。 これまで漠然と、戦前は価値観も多様化しておらず、国やコミュニティーの統制も厳しく、家では父権が幅を利かせ、 学校では聖職者として尊敬される先生たちが「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し」と教えていた時代だから、 今の子どもたちより素直で辛抱強く思いやりがあり、最近起きているような凶悪な犯罪など起こす子どもは少なかったと考えている人も多いと思われますが、 それが全くの妄想であることを思い知らせてくれる本です。温故知新、現在の子どもたちや少年犯罪をよりよく理解していただくために、 この「戦前の少年犯罪」の内容をできるだけ詳細に紹介したいと思います。

なお、事例にある年齢は数え年ですから満年齢では1〜2歳若くなります。

本書の構成

 この本は、昭和の初めから昭和20年8月15日の終戦の日までの20年間を対象にしています。 しかし、昭和元年は12月25日から始まったので1週間しかなく、昭和19年以降は新聞が一挙に薄くなって検閲も強化され、犯罪記事はほとんど掲載されなくなったため、 実質は18年に満たない期間となるようです。

第1章から第16章までの各章の見出しから、戦前はどのような時代だったかを見てみると、戦前は、小学生が人を殺す時代、異常犯罪の時代、 第2章親殺しの時代、老人殺しの時代、主殺しの時代、いじめの時代、桃色交遊の時代、幼女レイプの時代、体罰禁止の時代、教師を殴る時代、 第3章ニートの時代、女学生最強の時代、キレやすい少年の時代、心中ブームの時代、教師が犯罪を重ねる時代、旧制高校生の犯罪が多発した時代であったことになります。 第4章最近の傾向だと思われている少年犯罪が、既に戦前に数多く起きていたことが分かります。 第5章掲載されている事例も実際に起きた事件のごく一部とのことですが、その中から7章を選んで紹介します。

1 小学生による殺人が頻発した時代(18事例)

著者は、小学生が殺人を犯すようになったのは、最近になってからだと、何の根拠もなく思っている人が大勢いるようだが、 昔の子どもは今の子どもと違って自分を抑えることを学んでいないために、カッとすると限度がなく、とことんまでやってしまうので、戦前の方がずっと多かったと述べています。

昭和4年2月19日[9歳男子が6歳男子を猟銃で射殺]岡山県の自宅で、母親が9歳の息子へおやつにモチを出しだが、 焼き方が悪いと言って食べなかったところへ、遊びに来た隣の6歳の子が「食べないのなら、わしが食べてやろう」と食べだしたのに怒って、 「撃ち殺すぞ」と脅したところ、「撃ってもよい」と言い返されたので、父親の猟銃で頭を狙い撃ちしたもの。

昔は小学生でもナイフ(肥後の守など)を持っているのが当たり前でしたから、刃物での殺人が多かったようです。しかも学校での殺人が多いのも特徴。

昭和7年2月10日[小6が学校で上級生を刺殺]校庭でつまらないことでケンカして同級生のナイフで高等科1年を刺した。

昭和9年1月19日[小6が授業中に同級生を刺殺]「そんなボロナイフで切れるのか」と言われカットなって刺した。

小学生による毒殺もあります。

昭和5年7月1日[小6が同級生7人を毒殺未遂]泥棒呼ばわりされたことを怨み弁当に塩化水銀。吐き出されて未遂。

昭和3年6月20日[小4が弟毒殺]両親に可愛がられる病弱の弟の水薬にネコイラズを入れて毒殺。

幼児による殺人もあります。

昭和2年2月19日[幼児(5)が友人殺害]自宅前で遊んでいてケンカになり女児(6)の頭を竹棒で殴って殺害。

昭和2年7月12日[4歳が妹殺害]自宅で長男が長女(7)と次女(3)3人で映画のマネをしていて次女を縄で絞殺した。

女の子による小学校での殺人もあります。

昭和2年6月17日[小4女子が授業中に同級生女子殺害]級長が仲の悪い副級長の頭をメートル尺で殴り、翌日死亡させた。

昭和13年10月29日[小4女子が小学校で幼女殺害]迷子になって泣いていた幼女(4)を連れ歩いていたが、言うことを聞かないのでトイレに連れ込み棒で頭をめった打ちにして殺害。

そのほか、コラム欄には小学生が銃で妹や友人などを射殺したり、重傷を負わせたりした事件が6件掲載されています。

2 通り魔など異常犯罪が多発した時代(15事例)

著者によれば、戦前は通り魔が跳梁跋扈し、不可解な凶悪事件が頻発した時代とのことです。

昭和9年12月6日[中1(14)連続通り魔が女性27人を切る] 岐阜市で夜10時前、中1男子が自転車で帰宅中の女工(17)を「コンチクショウ」と叫びながら押し倒してナイフで顔、首、胸などめった刺しにして逃走。 翌年2月10日朝6時、民家に侵入して就寝中の女性(23)を出刃包丁で15回めった刺しにして逃走。逮捕後、路上で女性27人に切りつけて5人に重傷を負わせていた通り魔事件の犯人であることを自供した。

昭和10年4月13日[17歳通り魔が女性10人以上を襲う]

昭和10年11月16日[17歳の名古屋連続通り魔、女性80人を襲い1人刺殺]

幼女専門の通り魔もいます。

昭和11年4月16日[18歳の向島幼女連続殺人事件]東京市向島区の空き地で、無職男子少年(18)が赤貧の母子家庭の次女(10)の首を刺して殺害、 5月31日に近くの海産商宅で長女(3)の首を刺して殺害し、6月6日に肉切り包丁を持って新たな標的を求めてうろついているうちに逮捕された。海産商の事件では、 幼い娘だけを1階に寝かせていたということで両親が疑われ、新聞は完全に犯人扱いで、いかに酷い親だったかとプライバシーを連日書き立てていて、最近のジョンベネちゃん事件などと同じで、 マスコミのやることは戦前も変わらないとのコメント。

昭和12年5月6日[中1が女学生のスカート切り魔]電車内で女学生のスカートや着物をナイフで切っていた14歳男子が捕まった。4月から10人以上を襲っていた。

昭和16年8月26日[中2男子が空気銃で無差別に撃つ]

次は史上最悪の少年犯罪として紹介されています。

昭和17年10月12日[18歳の浜松9人連続殺人事件]静岡県浜松において9人を次々に殺害し、6人に傷害を負わせた犯人が捕まった。犯人は、昭和16年8月18日に置屋に侵入して芸妓1人を刺殺し、 もう1人に重傷を負わせて逃走。8月20日には料理屋に侵入、寝ていた女主人(44)、女中(16)、雇い人(67)を殺害。警察の取調べを受けながら、9月27日には自宅で強盗を装って兄を殺害、 兄の妻と子ども、父親、姉に重傷を負わせた。昭和17年8月30日には電車で乗り合わせた女性の家に侵入、両親と姉と弟を殺害し、女性を強姦しようとしたが失敗して逃走。 10月12日に逮捕され、犯行を自白した。4年前に置屋に侵入して女将と芸妓を強姦しようとしたが抵抗したのでナイフで2人とも刺して逃走したことも自供。少年はろうあ学校生で、知能は高く一番の成績。 家族からは冷たく扱われていた。

3 親殺しが頻発した時代(19事例)

著者によれば、親殺しはあまり珍しくもなかったので、新聞での扱いも小さく、記事になっていない場合もあったとのことです。 例えば、茨城県真壁郡という狭い範囲で半年もたたないうちに、次のような少年による親殺しが3件立て続けに起きているのに、東京朝日新聞には全く出ていないとのことです。

昭和2年1月30日[中3が父親殴り殺す]小学校長の父親が酔って怒ったので額に鉄瓶を投げつけ、全身を殴って死亡させた。

昭和2年3月15日[19歳が父親殴り殺す]小学校長の父親に罵倒されて就寝中の父親をマサカリで殴って殺した。

昭和2年6月11日[19歳が父親斬り殺す]父親に仮病だと言われた次男が、寝ている父親を日本刀で斬り殺した。

異常な親殺し事件もあります。

昭和8年9月27日[20歳ニートが母親殺害]埼玉県の農家で高等小学校を出た後は農作業も手伝わずに遊んでいた長男(20)が母親の手首を鎌で切り落とし、 逃げるのを追いかけて胸を刺して殺害。止めようとした父親らにも鎌を振り回して暴れ、駆けつけた警官隊と格闘の上逮捕。 前夜、母親とケンカして暴れたので母親は隣家の親戚宅に避難したが跡を追って来たので親戚がなだめている最中の出来事。

戦前は一家皆殺しが大流行とあります。

昭和9年3月15日[20歳の真面目な長男が何人殺せるか試すため一家皆殺し]奈良県の農家で長男(20)が就寝中の家族5人の頭を斧で殴り、母親、弟2人、妹1人を殺害し、 父親を重体として、隣家に押し入り、そこの長女の頭を斧で殴り、逃げようとするところを肩と足を切って重傷を負わせ、母親にも切りつけたが斧を奪われ逃走し、 近くの線路に飛び込んで自殺した。働き者の真面目な模範少年だったが、数日前に「自分が命を投げ出したら幾人くらい殺せるだろうか」と話していた。

このほかにも、盗みを両親に叱られて、就寝中の家族5人をカナヅチで殴り、柄が折れると斧でめった打ちにして惨殺した事例も紹介されています。

親殺しの章では20例が紹介されていますが、うち1例は家庭内暴力の娘を父親が殺した事件です。いずれも現在であればマスコミが大騒ぎするような事件ばかりです。 「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し」を強調せざるを得ない時代だったようです。著者によれば、昭和17年頃から親殺し、祖父母殺しが報道されなくなっており、 それは「聖戦遂行のために帝国国民は、とくに教育勅語だけではなく正しい戦時教育を受けている子どもたちはみんな正しい心を持っているはずだということです。 戦前は親殺しはなかったと思い込んでいる方が多いのがこういう報道規制の結果だとしたら、政府の検閲は見事に成果をあげているわけです。半世紀以上のちの現代にまで、 虚構と現実の区別がつかないままの人がいるんですから」と述べています。

4 想像を絶するいじめの時代(11事例)

著者は、戦前のいじめは壮絶で、女の子に対しても集団で情け容赦なく存分に暴力を振るい、戦前の子どもは限度というものを知らないと述べています。

昭和4年2月4日[小6がいじめ殺人]北海道の路上で小6男子が高等科1年女子の肋骨を骨折させて、12日後に死亡させた。 気の弱い女子は日頃から同級生や下級生からいじめられていたが、下校時に3人の小6が「弱虫」といじめたところ「姉さんに言いつけるわよ」と言い返されて、 「生意気だぞ」と倒れた女子を強く蹴ったもの。

昭和3年6月23日[小1ら2人が幼女に硫酸を浴びせる]東京都で、小1男子2人が幼女を材木倉庫に連れ込み、1人が押さえつけて、1人が消火用にビールビンに入れて倉庫に積んであった硫酸を身体にかけて逃走。 泣き叫ぶ声を聞いて近所の人が病院に運んだが4週間の重体。

昭和9年11月21日[小3ら3人が同級生を火あぶり殺人未遂] 北海道で小3の3人が下校中に同級生を松林に連れ込んで裸にして木に縛りつけ、火あぶりにしようとしているところを教師に見つかった。

いじめられて自殺した事件も2例掲載されています。

5 生徒が教師を殴った時代(18事例)

戦前は教師が非常に尊敬されていたと考える人が多いが、教師を殴るのは当たり前のように頻発していたと著者は言います。

昭和3年3月6日[中5数人卒業式後に校長を殴る]職員室に押し掛け校長らを殴った。来賓が大勢いる前での犯行。

昭和3年4月5日[中5が教師殴って職員室で大暴れ]職員室で教師を殴り椅子を振り回し窓ガラスを割り机を壊した。

昭和3年10月6日[小4クラス全員が女教師に暴行]45人が授業で入ってきた厳しい担任を袋叩きして傷害を負わせた。

教師宅を襲って暴力を振るったものも見られます。

昭和7年3月20日[商業学校4年生ら4人が教師4人に乱暴]長崎の県立商業学校4年生3人と卒業生1人が教師の自宅3軒に押し掛けて袋叩きにしたあと、 校長宅に押し掛け門灯や扉を壊すなどの乱暴をして逮捕。落第させられての怨みから。

昭和8年2月18日[中学生ら10数人が教師にリンチ]京都市の中学生12、3人が教師宅に土足のまま押し入り、教師に殴る蹴るの暴行を加え、 ナイフで頭と唇に10日間の傷害を負わせる。

学校や教師宅に放火したり、校長をピストルで脅して拉致監禁したりした事件なども紹介されています。

6 キレやすい少年が多かった時代(21事例)

今の子どもたちよりずっとキレやすく短絡的で、しかも小刀はほとんどの子が携帯していたので、学校での殺人がやたらと起きていたとのことです。

昭和7年6月3日[高等科1年が学校で同級生刺殺]14歳がケンカしてナイフで脅したが「切るなら切ってみろ」と言われてカットなり刺殺した。

昭和3年10月25日[高等科1年生が同級生刺傷]学校のそばでケンカしてカットとなって胸をナイフで刺し重体とした。

昭和5年6月4日[中3が教室で傷害致死]岡山県の私立中学校で、中3(16)が授業中に鉛筆の粉がかかったということで同級生とケンカになり、殴って鼻を折り敗血症で重体とした。

この事件について校長は新聞記者に「子どもの喧嘩じゃないか、大したニュウス・ヴァリューはあるまいよ」と話し、1か月以上警察に通報していなかったとのことです。

7 教師が犯罪を重ねた時代(24事例)

著者によれば、戦前は子どもたちだけが悪かったのではなく、訓導、聖職者と呼ばれていた教師の犯罪が連日のように新聞紙面を賑わせていた時代であったと言い、 最多の24事例を掲載しています。犯罪の多様さ(保険金殺人まである)に驚かされます。

教師が小6女子18人に猥褻、教師が女子小学生を妊娠・出産させる、教師が小6女子をレイプ、校長が女生徒数十人をレイプ、校長が女生徒をレイプ、 教師が女生徒数十人をレイプ、教師が花嫁(19)をレイプし自殺未遂に追い込む、教師が生徒の母親を恐喝、教師が児童貯金を横領し遊郭通い、 教頭が横領して学校に放火、校長が妻を保険金殺人、教師が自分の子を殺害、女性教師が公園で誘って売春、校長が万引き、男女教師13人が船内で乱交パーティー等、 犯罪者見本市のようです。

8 読み終わって

全16章のうちの7章について一部を紹介しました。

著者は「あとがき」で、ジャーナリスト、学者、官僚などが、昔のことを知らないのに調べようともせず、新聞やテレビを通して全くの妄想を語り、 その妄想に基づいて国の政策決定もなされるというお粗末さを辛らつに批判しています。本文中にも辛口で断定的なコメントが随所に見られます。

統計の紹介は省略しましたが、戦前戦後を通じて凶悪事件(殺人・強姦・強盗・放火)が最も多かったのは昭和33年ごろから昭和41年ごろまでで(本誌第16号参照)、 これは急増する生徒をすし詰め教室で授業していた団塊の世代の少年時代です。 それ以外では数・人口比とも戦前より戦後の方がやや多いと思われます。 悪質さは戦前も現在もどっちもどっちですが、小学生の殺人、学校での殺人は戦前の方がはるかに多発しています。 筆箱にナイフ(鉛筆削りの肥後の守など)は生徒の必携アイテムだったようですから、キレやすい子どもの身近に格好の武器があったということかもしれません。 戦前も戦後も残忍ないじめが行われ、自殺者も出ていることは同じです。 教師の犯罪には目を覆いたくなりますが、これでは「教師は聖職者だ!」と強調して自戒を求めざるを得なかったのでしょう。 インターネットやメールを使った事件がないのは当然ですが、手紙による出会い系殺人、ストーカーによる殺人事件などは既に起きていて掲載されています。

重大な少年事件が起きる度に、識者は現在の社会状況、世相、教育環境等に原因を探して解説しようとしますが、同じような事件が7、80年も前に、 現在とは異なる社会情勢の中で起きていると分かると、論評にも慎重にならざるを得ないかもしれません。



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