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 子どもたちは、いつの時代にも、仲間同士での会話の中に独特の言葉や言い回しを流行させます。 別に新しい言葉を造るとは限らず、大人が普通に使っている言葉を独特の言い方で、 子どもたちが感じている雰囲気や感性を示そうとしているようです。したがって、これらの言葉はとりもなおさず、 その時代の社会を反映していると言えましょう。非行少年と向き合い、 じっくりと話を聴くのを仕事としている家庭裁判所調査官たちは、 少年たちの使う言葉にどのような時代の投影を読み取っているのでしょうか。
 「東京少年友の会通信」に連載された家庭裁判所調査官による「少年たちと言葉」という随想を、 同会の了承を得てここに転載することができましたので、それを見てみたいと思います。

1 「ビミョー」・「ヤバイ」

 私たち家庭裁判所調査官は、調査実務を通じて、非行を犯した少年と接している。 語られた言葉の微妙な意味合いを丁寧にくみ取れるようにと心掛けている。そこで気にかかるのは、 意味や感情の不鮮明な言葉の増加である。
 ある少女は、調査面接で「ビミョー(微妙)」を連発した。親子関係や友だち関係、家出の動機など、 みな「ビミョー」と答えるので、私は少年の心情になかなか迫れなかった。 「微妙」とは、岩波国語辞典によれば、「細かいところに重要な意味・味が含まれていて、 簡単には言い表せない様子」とある。しかし、少年の発した「ビミヨー」はこれとは違うだろう。 むしろ、自分の意思をあいまいにするために積極的に用いられることが多いように思う。
 また、「ヤバイ(やばい)」という言葉も、よく用いられる言葉の一つである。 「やばい」は俗語であるが、大人の用いる「やばい」と少年ら世代が用いる「ヤバイ」で意味が違う。 前者は「まずい。あぶない」という意味で用いられる。 また、後者はそこから派生して「あの子に惚れこんでしまいそうで、まずいよ」などという気分で用いられる。 私もこの辺りまでは理解できたのだが、最近ではもっと違う用いられ方が出てきた。 例えば、十代の女子が、母親の手料理を食べながら「ヤバイ」と口にするのである。 母親や世間の大人は、これを聞いて、良い印象は受けないだろう。 しかし、この「ヤバイ」は「おいしい」という肯定や好意的評価の意味なのだ。 この用法は、先に述べた「惚れこんでしまう」あたりから派生してきたと推測しているのだが、 「ビミョー」同様、自分の気持ちをはっきりさせないためという目的がうかがえる。
 このような言葉の背景には、子どもたちが本音を語りたがらない、他者との葛藤を回避したがる傾向を指摘できよう。 そこには、大人社会が子どもたちの多様さやデリケートさを認めようとせず、 大人の一方的な価値観による優れたものばかりを賞賛することに対する不満が込められているのかもしれない。
(東京家庭裁判所調査官 石川正人)

2 「あり得なーい」

 例えば、街を歩いていて、これまで見たことがないものや意外なものを見た時、あるいは驚いた時、不快に感じた時、 相手の要求を拒否する時、いろいろな場面で彼ら(特に女子)はこの言葉を口にする。
 そもそも,「あり得ない」とは「絶対にない」という意味で、相当に強い否定のニュアンスを含む言葉である。 しかし、彼らにとって、この言葉は、「見たことがない」、「理解できない」、「嫌だ」程度のごく軽い意味である。 少し前の「ウッソー」である。
 彼らの「あり得ない」を、言葉を補って解釈するならば、「私の知らないことが起こるなんてあり得ない」、 「あなたの要求に私が応じることなんてあり得ない」といったところであろうか。
 例えば、単に「見たことがない」という場合、それは、その意外な事実が、 自分の知見の範囲を超えるものであると認めることに他ならない。それに対して、「あり得ない」は、自分の不明を棚に上げ、 その意外な事実の存在自体を否定しようという意味合いが含まれる(もちろん、彼らはそんなことは全く意識していないが)。 これは、とりもなおさず、価値判断の基準を自分に置き、その価値観に合致しないものは否定してしまおうという、 なんとも「自己チュー」な言葉なのである。
 ところで、私は、この4月に東京家裁に着任し、6年ぶりで少年事件を担当することになったが、以前と比べて、 相手の心の痛みに思いが及ばない、共感性に乏しい少年が増えているような印象を受けた。もっとも、かつて仕事をしていた町は、 この大都会とは比べるべくもない町であったが、それでもこの違いは地域差だけでは説明しきれないように思う。
 最近は、「キレる」という言葉に象徴されるように、少年の衝動性や自己中心性がクローズアップされている。 「言葉は身の文(あや)」との言葉があるが、少年らが普段何気なく使っているひとつひとつの言葉に、 少年らの気質が微妙に投影されているのだと改めて感じている。
(東京家庭裁判所調査官 帯刀晴夫)

3  「うざい!」

 「うざい!」。若者たちは、毒気を帯びた強い語調で自分たちの感覚に合わない相手や状況を切り捨てる。 「うるさい」と語調は似ているが、私には「うるさい」を越えた冷え冷えとしたものが感じられる。
 裁判所にくる少年たちは、親や教師、いい子ぶる級友、嫌なメール、テスト、仕事等あらゆる人や状況を「うざい」と言い、 「「うざい」を「鬱陶しい」、「イライラする」、「自分が嫌になる感じ」などと説明する。
 この「うざい」という言葉、一説には「うざつく」「うざったい」の派生語という。 「うざつく」は「小さいものが多数集まって動く」(広辞苑)である。「うざったい」は、広辞苑5版(1998年)から掲載され、 「こまごまして鬱陶しい。煩わしい、面倒くさい」の意という。 私は、少年たちの「うざい」は、複雑な人や状況への煩わしさ、何か得体の知れない新奇なものと正面から向き合う鬱陶しさ、 不快な気分を表すものだろうと思う。
 「うざい」は、今の少年たちの気分を端的に示す言葉である。しかし、「うざい」の罪は、快不快に閉じこもって、 他を受け入れないことである。「うざい」に共鳴し合い、集団でいじめやリンチをする者もある。
 ところで、私は、少年に対する調査面接で、最初の記憶を聞くようにしている。十数年前に出会った少年たちの記憶は、 家族との外出、きょうだい喧嘩など、「喜怒哀楽」を帯びていた。また、当時の少年が親から聞いていたエピソードは、 少年のかけがえのなさを感じさせるものだった。 最近では、幼少期を覚えている子や親から生い立ちを聞いている子が少ないのに驚かされている。 代わって、いじめ・いじめられ体験や教師への不満から語られることが多い。
 現代の子は、あふれる情報、受験やいじめなど受け身な出来事が多く、主体的に感情を得る体験が乏しいのではないか。 受け身な出来事が多ければ、得体の知れない鬱陶しさ=「うざい」は募るだろう。
 私たちが「うざい」と訴える少年たちにできることは、「うざい」の中身を解きほぐすよう援助し、 ともに対処方法を考えることと思う。
(東京家庭裁判所調査官 園田貴子)

4 「心の傷」・「ご迷惑」

 最近、犯罪被害者が生活面でも精神面でもどのようなダメージを受けたのかということに、社会の関心が高まっている。 私たち調査官にとっても、少年に「被害」について想像させ、反省を深めさせることが大きな課題である。
 ところで、「反省」している少年は、どのような言葉でそれを語るだろうか。筆者は、ひったくりや恐喝をした少年が、 「被害者に迷惑をかけた。謝りたい」と言ったとき、「どんな迷惑をかけたと思う?」と聞く。 「カネ取られて困ったと思う」としか言えない少年は、かなり共感性が低いのかも知れない。
 一方、「カネのことで迷惑をかけただけではなく、心にも大きな傷を負わせてしまって、 本当に申し訳ないと思います」等と言う少年は、反省しているのだろうか。「心の傷」という言葉は、 マスコミがよく使う。保護者や付添人も、面会の時に、この言葉を使って説諭しているのかも知れない。 少年にとって、このような言葉は、ある意味で非常に便利である。筆者は、「心の傷って何?」と突っ込む。 ここで言葉に詰まってしまう少年が意外に多い。便利な言葉は怖いと思う。
 他方、「向こうは泣きそうな顔してて、今思うとかわいそうだった。いきなり取り囲まれて、 すっげえ怖かったんだと思う」、「カネだけじゃなくて、携帯とか免許証とか、大事なものいっぱい取られて、 むちゃくちゃ困ったし、むかついたと思う」、「もし俺の彼女がやられたら、そいつのことボコっていたかも‥‥」等、 彼らの日常的な言葉で反省を述べる少年もいる。稚拙な言葉でも、「若者言葉」でも、筆者は、 被害者の立場を自分なりに精一杯想像し、受け売りでない自分の言葉で語れる少年に希望を感じる。
 もちろん、被害者に謝罪の手紙を書いたりするときに、こうした言葉をそのまま用いてよいかどうかは別問題である。 しかし、被害者の方々も、少なくとも「心の傷」、「ご迷惑」等、受け売りの言葉でくくった形式的な謝罪は望んでいないであろう。
(東京家庭裁判所調査官 北尾眞美)

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