1 制度と実情
オーストラリアでは家族法を改正し(1996年)、子どもが面会交流をする権利、両親を知る権利、両親双方から養育を受ける権利、両親双方と過ごす権利等が明記されて以来、
CCS(子どもの面会交流援助センター)が急増しました。
この法改正がオーストラリアにおける面会交流賛成(促進)の法的文化のきっかけになったとも言われ、DVや児童虐待の訴えがある危険度の高い環境であるにもかかわらず、
裁判所による面会交流の暫定的な決定が増加しました。
変革に付随し政府は、2001年までに全国に35箇所の政府出資のセンターを設置しました。
援助センターは国の法的管理を受けませんが、政府出資のセンターの場合は、高い品質の援助の実現が要求されます。
しかし、他の援助センターにはそうした義務はなく、実のところその運営についてはあまりよく知られていません。
2 関係機関からの期待とセンターの実際の援助
センター利用に至る経路は多様ですが、政府出資のセンターの場合、その81%という圧倒的な数が裁判所の決定を受けたもので、しかも暫定的決定が最終決定の約2倍でした。
決定間際に弁護士の提案で父母双方が合意してセンターの利用を決めたものもあります。
センターが存在することで、面会交流の是非の判断から、監督の有無の判断へと変化し、子どもの危険度の判断が妥協的になされた感は否定できません。
前述の面会交流促進の法的文化に加え、子どもの性的虐待を主張するケースの増加、DV防止法やその影響によりDVから子どもを守ろうという社会の意識変化、
面会交流是認の風潮も背景にあり、センターが重宝な機関として、明らかに過剰利用されている状況です。紹介されてくるケースには、
不適切なケースや非現実的な時間設定のものもありました。2005年、裁判所が紹介のガイドラインを作成したのはひとつの対応策です。
援助センターの多くは、子どもや同居親、また援助者自身の安全が脅かされると判断した場合、援助を中止する約束を設けています。
子どもたちが面会親に会うのを頑なに拒否する、面会中に非常に強い恐怖心を表すなど、子どもの言動は援助の続行・中止の判断基準のひとつです。
センターは裁判所の決定に拘束されず、援助を断る、または中止することができます。
センターの監督、援助というものは、裁判所の決定どおりに面会を実施させることや単に付添いをすることではありません。
政府出資のセンターでは専門的な研修を積んで雇用されたスタッフが援助の経験を積み、より専門性を高めて、自らの役割を、子どもたちが親との関係を修復し、維持し、
充実させるよう、本当の意味での交流を機能させるための「治療的な役割」であると表現しています。
そのアプローチの方法として、面会中の親の不適切な振る舞いや子どもを傷つけるような行為を明確なルールを設定してコントロールすることは重要です。
援助者は、子どもにとって模範となる親らしい行動をとるよう促して、面会親が親としてのスキルを身につけ、親子関係を改善するように働きかけます。
子どもの意向を汲み取ってニーズに合わせた面会方法を調整することで、子どもの信頼を育むのも介入のひとつです。
3 子どもの最善の利益とセンターの援助
子どもたちの本当の気持ちを理解できないまま、面会交流が続けられていたケースもありました。
面会中に面会親への恐怖や不安を子どもがその行動に表わさないと、援助者が子どもの真意を把握することは非常に困難で、気づかないまま援助を続け面会交流が継続されてしまいます。
ときには子どもたちの行動には正反対の矛盾したメッセージがこめられている場合があります。被虐待児についての研究では、子どもがさらなる虐待のリスクを軽減するために、
加害者である親に過剰適応するといわれています。親を喜ばせようと迎合して楽しそうに振舞う例も報告されています。
また、両方の親の、表裏それぞれの要求を満足させようとして、面会前と面会中では本能的に全く異なる行動をとることさえあるのです。
援助者は、子どもの行動は予測を超え、状況からは子どもの福祉に適さないケースだと考えていたにもかかわらず、まるで子どもは自ら望んでいたように見え、
面会交流を続けてしまったこともあるという苦い体験を報告しています。
面会交流が子どもにとってリスクがあるかどうかを見定めるために援助センターを利用するというのは、それ自体子どもを傷つけるかもしれないということを自覚しなくてはなりません。
援助者は子どもの安全や暴力の影響、危機介入についてしっかりした知識を養うことが必要です。
もう一方で、子どもの福祉を害するからと援助を中止するだけで、面会交流変更の申立てを裁判所にしないと、子どもと同居親をより危険な状況に再びさらすことになりかねません。
何らかのルール違反によりセンターの援助が中止になったケースに対しては、他のセンターもなかなか援助を引き受けてはくれません。
年長の子どもたちも、子どもに焦点をあてているはずの援助センターの理念と援助の実際との葛藤の中におかれることになります。
センターの設備や備品は、どうしても幼少児を対象に整えられています。思春期になれば社会的な欲求が芽生えてくるのが当然ですが、
それに対応した柔軟な面会交流の調整が実現されていないという問題もあります。
週末は友だちと過ごしたいのに別居親に会いに行かなくてはならない、毎週決まった曜日には別居親から電話がかかってくるので在宅していなくてはならない等、
思春期ならではの不満を語る子どもたちも少なくありません。これは、自力による面会交流に移行できないまま、長期間センターの利用を続けていることが一因でもあります。
成長期の子どもの独立性とプライバシー、同世代との交流をも保障しながら、安全な面会交流を提供していくことは、今後の課題です。
4 自力による面会交流への移行
センターで面会交流の監督の援助を受けていた親子も、しだいに子どもの受け渡しの援助を受けるだけで面会ができるようになっていきます。
援助者が監督の度合いを少しずつ弱めると同時に、別居親自らが子どもへの気配りや時間の管理に責任が持てるようになることが必須です。
センターは明確には基準を定めていません。
なかには長期間援助を受け続ける親子もあります。
援助者によれば、自力面会交流に移行できる率は決して高くはなく、平均的利用期間は1.5年ですが、
かなりの数の親子が監督つきの面会交流から受け渡しに移行するのに2年以上要しています。
しかも、監督型援助が長くなればなるほど、受渡し型に移行する率が減少しています。
援助を通じて両親にも子どもたちにもカウンセリング的な働きかけや、別離後の親としての教育、ミディエーション、怒りの気持ちのコントロールというような関わりをすることで、
硬直した関係性を変化させて自分たちでも安全に面会交流をできるよう成長させるというのが、援助センターの核となる援助です。
監督つきの面会交流から、受渡し、あるいは自力による面会交流へと移行したケースを分析してみると、裁判所の決定時に、
ある程度の期間や回数を限って実施した後には次のステップへの移行を検討すると言及したことが促進剤のひとつでした。
援助スタッフが行う促進策は、安全に行えるとの判断ができたとき、監督付き面会交流から「試行的に」受渡しのみの援助を行ってみること、
あるいは自力による面会交流を「一時的に試してみる」ことの提案です。提案にあたっては、援助者あるいはセンター代表者がミニ・ミディエーション(両親同席の場合もありますし、
援助者が両者間を伝達するという場合もあります)機能を担うことになります。
受渡し型への移行に最も重要な促進剤は、時を経て、しっかり子どもをケアできるという、同居親の面会親への信頼だということが、調査からはっきり分かりました。
しかもその信頼は、子どもが面会親に見せるポジティブな反応からもたらされたものでした。
子ども自身が面会親から十分にケアされているという安心感が、同居親の態度や信頼を変化させ、援助のしかたを変えていくのです。
そして最終的に、面会交流の調整に柔軟に臨め、穏やかにかつ効果的にコミュニケーションをとれるまでの心理的な成長が、完全に自力での面会交流を実施できるようになる、
重要な要素です。
5 終わりに
FPICが面会交流の援助を始めて10年以上になります。千葉・名古屋・大阪・福岡・松山・松江でも援助を開始しました。
しかし、全国全ての援助を必要とする方々に手が届くには至りません。いずれは、養育費相談支援センターのように、国によるなんらかの援助の手立てが期待されます。
オーストラリアの今回の調査によると、センターを利用する子どもの親たちは、DV・虐待、親同士の紛争以外にも貧困、深刻な身体的・精神的疾患や障害、
アルコールや薬物依存といった問題を複数かかえていることが少なくありません。今後、日本でも援助者にそれらの問題と取り組む専門性が必要とされると同時に、
専門的な関係機関との協働は不可欠となるでしょう。
また、激しい紛争が存在する両親間に介入するのですから、援助者には強いストレスがかかります。
実際の援助に関わる人と、それを支えるスーパーバイザーやマネージメント部門を受け持つ人という、役割分担が必要です。
さらに、面会交流を行う場所としてのセンターの意義も重要です。
子どもの成長に応じた設備や備品、援助者が見守る中で親子が遠慮なく交流できるような空間、既存の施設、例えば廃校になった学校等、
あるいは他の機関と共有するようなものでもかまわないと思います。柔軟な発想で実現される日が待ち望まれます。
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